朝日日本歴史人物事典 「藤舎芦船(初代)」の解説
藤舎芦船(初代)
生年:天保1(1830)
江戸後期・明治期の歌舞伎囃子方。本名,加藤宗三郎。名は荘三郎,亀太郎とも。もと能楽の観世流太鼓方であったと伝えられるが,5代目望月太左衛門に師事し,江戸末期から望月太意次郎を名乗って歌舞伎に出勤した。明治初年に行われた能楽と歌舞伎の折衷演劇である「吾妻能狂言」には,藤舎芦船の名で囃子主任として参加している。明治前期の9代目市川団十郎や5代目尾上菊五郎らの出囃子の舞台には,もっぱら太鼓打として出演し,同じく能楽の囃子方から転じ「吾妻能狂言」にも出ていた小鼓打の中村寿鶴と共に重きをなした。また東流二弦琴を創始し,初代の家元となった。
(小林責)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報