ゴッホ

デジタル大辞泉 「ゴッホ」の意味・読み・例文・類語

ゴッホ(Vincent van Gogh)

[1853~1890]オランダの画家。主にフランスで活躍。印象派と日本の浮世絵の影響を受け、強烈な色彩と大胆な筆触によって独自の画風を確立した。表現主義フォービスムなどの先駆ともされる。作「ひまわり」「糸杉」「からすのいる麦畑」など。→後期印象派

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「ゴッホ」の意味・読み・例文・類語

ゴッホ

  1. ( Vincent van Gogh ビンセント=バン━ ) オランダの画家。印象派と日本の浮世絵の影響を受け、大胆なタッチで、律動的な線条と明るく激しい色調の独特の画風を確立して、二〇世紀の絵画に大きな影響を与えた。後半生をフランスで過ごし、しばしば精神病発作に悩まされて、ピストル自殺した。代表作は「ひまわり」「はね橋」「星月夜」など。(一八五三‐九〇

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「ゴッホ」の意味・わかりやすい解説

ゴッホ

オランダの画家。正しくは〈ファン・ホッホ〉で,〈ゴッホ〉はドイツ語読みにもとづく日本での慣用。後期印象派を代表する一人。ベルギー国境に近い小村のフロート・ズンデルトの牧師の家に生まれ,中学卒業後美術商グーピルのもとで働いたり,牧師職につこうとしたりしたが成功せず,1880年ブリュッセルの美術学校に入学。《じゃがいもを食べる人々》(1885年,アムステルダム,ゴッホ美術館蔵)などのような重苦しい形態と暗い色彩の修業時代をオランダで過ごすが,1886年パリに出て,印象派や浮世絵の影響下に明るい色彩に転じた。その後,ゴーギャンとの交友・別離を経て1890年にオーベール・シュル・オアーズで狂気のうちに自殺を遂げるまで,アルルやパリ周辺の風景,自画像などを好んで描き,奔放なタッチと強烈な色彩により苦悩に満ちた魂を表出した。フォービスム表現主義に与えた影響は大きい。代表作に《星月夜》(1889年,ニューヨーク近代美術館蔵),《オーベールの教会》(1890年,オルセー美術館蔵),《烏の群れ飛ぶ麦畑》(1890年,アムステルダム,ゴッホ美術館蔵)などがある。また,自画像や肖像画も多く残している。また彼を終生援助した弟テオにあてた書簡集は《ゴッホの手紙》としてまとめられて刊行されている。
→関連項目アンデパンダン展歌川広重オルセー美術館クレーラー・ミュラー美術館ジャポニスムシュミット・ロットルフセザンヌピサロベルナールミネリモンティセリ

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「ゴッホ」の意味・わかりやすい解説

ゴッホ
Vincent van Gogh
生没年:1853-90

オランダの画家だが,後半生をフランスで送った。後期印象派を代表する一人。オランダではホッホ,フランスではゴーグと発音される。ベルギー国境に近い,北ブラバント州の小村フロート・ズンデルトGroot-Zundertで新教の牧師の長男として生まれた。生来の極端な性格がわざわいして,その前半生は失恋と失職による挫折感に満ち満ちている。1869年,美術商グーピル商会につとめるが,76年解雇される。短期間イギリスで語学教師として働いたのち,一念発起して,77-78年,アムステルダムの神学校,ついでブリュッセルの伝道師養成所で学び,無給の伝道師としてベルギー南部の炭鉱地帯ボリナージュにおもむく。しかしここでも,80年にその常軌を逸した振舞いにより教会から解雇され,失意のどん底に陥る。幼少より絵心のあったゴッホが画家になる決心をしたのはこの頃であり,ブリュッセルのアカデミーで数ヵ月間学んだのち,画商として一家をなしつつあった弟テオTheoの経済的援助に頼りきったまま制作をつづけた。宗教的情熱と一体となったこの時期の作品は,ミレーの深い影響もあり,社会の底辺の虐げられた人々にたいする共感に根ざしている。一時期,憐憫(れんびん)から同棲した娼婦シーンをモデルにした素描《悲しみ》(1882),質朴な農民生活を描いた《じゃがいもを食べる人々》(1885)などはそのよい例である。しかしながら,画家としての才能が開花するのは,86年から88年にわたるパリ生活で印象主義の洗礼をうけてからである。それまでの暗い鈍重な色彩は消え失せ,《タンギー親爺》(1887)に代表される明るい筆触が画面を満たすようになる。これにはまた,日本の浮世絵版画からうけた強い印象がはたらいている。事実,88年,そもそもゴッホは,日本のイメージを求めて南仏のアルルへと向かったのであった。いわゆる〈ゴッホの耳切り事件〉という悲劇的な結末をみたゴーギャンとの共同生活を別にすれば,アルル時代はゴッホにとって実り豊かなものであった。この時期の《ひまわり》《麦畑》《糸杉》などでは,ぎらぎらした量感ある色彩とうねるような筆触によって,原初的ともいうべき自然のエネルギーを画面に噴出させ,また《夜のカフェ》(1888)では,強烈なコントラストによって,カフェにたむろする人間存在の狂気すらあばきだした。ゴッホ自身狂気と無縁でなく,89年5月サン・レミの精神病院に収容された。しかし創作意欲は失わず,この頃描かれた《星月夜》は,自然と感情とが狂おしいまでに一体になろうとうごめいている,画期的な作品である。90年5月,パリ近郊のオーベール・シュル・オアーズのガシェGachet博士--著名な美術愛好家でもあった--のもとにあずけられ,いかにも病的な博士の肖像と,死の影が色濃くただよう《麦畑のうえの烏》を残し,7月末ピストル自殺をとげた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ゴッホ」の解説

ゴッホ
Vincent van Gogh

1853~90

オランダの画家。店員,説教師をへ,27歳で画家となることを決意。1886年パリに出,印象派に加わったが,2年後アルルに移る頃から表現主義的傾向の強い独自の画風を築いた。まもなく発狂し,自殺。代表作「ひまわり」。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ゴッホ」の解説

ゴッホ
Vincent van Gogh

1853〜90
オランダの画家
情熱家で,美術商店員・教師・牧師をへて,27歳のとき画家になることを決意。印象主義や日本の浮世絵などの影響を受け,強い個性的な表現をした。『ひまわり』などの傑作を残したが,晩年に発狂し,自殺。生存中はほとんど認められず,その死後,高く評価された。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のゴッホの言及

【オランダ美術】より

…印象主義の先駆者ヨンキントはフランスにとどまりつつ故郷の風景を好んで描き,オランダ国内でもマーリスMaris兄弟,ウェイセンブルッフHendrick Johannes Weissenbruch(1824‐1903),イスラエルスJozef Israels(1824‐1911)ら〈ハーグ派〉の画家が,バルビゾン派の影響を消化しつつ灰色系の色調を主体とした清潔で抒情的な風景画を残した。しかし19世紀最大の画家としては,短い劇的な生涯をフランスで閉じたファン・ゴッホを挙げねばならない。強烈な原色と荒い筆触を特色とする彼の絵画は,フォービスムや表現主義などの20世紀芸術に重要な指針を授けた。…

【後期印象派】より

…日本では,〈後期印象派〉という訳語はすでに大正期にみられたが,適切とは言えず,〈印象派以後〉と理解すべきものである。展覧会の出品作家は,マネを特例として,ゴーギャン,セザンヌ,ゴッホ,ルドン,ナビ派(ドニ,セリュジエ),新印象主義の画家たち(スーラ,シニャック,クロスHenri‐Edmond Cross),フォービスムの画家たち(マティス,マルケ,ブラマンク,ドランら)といった,印象主義から出発し,それをこえようとした雑多な画家たちであり,そこには表現主義的な傾向が顕著とはいうものの,格別の枠組みがあるわけでもなく,〈Post‐Impressionists〉は,フライ自身も言うとおり,あくまでも便宜的な呼称にすぎなかった。この呼称が主として英語圏でしか用いられないのはこのためである。…

【世紀末】より

…90年代に流行したアール・ヌーボー(新しい芸術)は,ひとりヨーロッパにとどまらずアメリカから日本まで風靡したが,それが一名ユーゲントシュティール(青春様式)とよばれたのもこの間の消息を伝えるものである。ともあれゴーギャンはタヒチ島に渡り,ゴッホは片田舎のアルルで制作した。セガンティーニはアルプスに住みつき,フランスのポンタベンやドイツのウォルプスウェーデといった辺境に芸術家コロニーがつくられた。…

※「ゴッホ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

ゲリラ豪雨

突発的に発生し、局地的に限られた地域に降る激しい豪雨のこと。長くても1時間程度しか続かず、豪雨の降る範囲は広くても10キロメートル四方くらいと狭い局地的大雨。このため、前線や低気圧、台風などに伴う集中...

ゲリラ豪雨の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android