小説家、劇評家。本名与三郎。別号竹の屋(舎)主人など。江戸生まれ。1874年(明治7)読売新聞社に入社。のち高畠藍泉(らんせん)に認められて編集記者となる。出世作『当世商人気質(とうせいあきうどかたぎ)』(1886)、短編『人の噂(うわさ)』(1886)、『藪(やぶ)の椿(つばき)』(1887)などのほか、井原西鶴(さいかく)の『好色一代女』に倣った『蓮葉(はすは)娘』(1887)などによって、明治20年代初頭の元禄(げんろく)文学復興の先駆的役割を果たした。作品集『むら竹』全20巻のほか、『竹の屋劇評集』があり、また随筆評論集『雀躍(すずめおどり)』は江戸文学研究のための必読書である。根岸、谷中(やなか)に住む文学グループ(根岸派)の中心的存在であった。
[尾形国治]
『『明治文学全集26 根岸派文学集』(1971・筑摩書房)』
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(中島国彦)
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… 近代になると新聞,雑誌などのジャーナリズムの発展につれ,具体的な舞台成果に対する批評,すなわち舞台評主体の職業的劇評家が多く輩出するようになる。日本でも,西欧近代劇の影響を受けた明治以降は,饗庭篁村(あえばこうそん)(1855‐1922),岡本綺堂,伊原青々園など新聞,雑誌に拠る劇評家が数多く登場した。また《歌舞伎》誌の三木竹二は従来の見巧者的な評言ではなく,実証的で清新な歌舞伎批評によってその権威を高めた。…
※「饗庭篁村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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