西之島村(読み)にしのしまむら

日本歴史地名大系 「西之島村」の解説

西之島村
にしのしまむら

[現在地名]磐田市西之島

西貝塚にしかいづか村南東の平野部に位置し、東は大立野おおだての村。山名やまな郡に属する。永禄一二年(一五六九)二月一九日の徳川家康判物写(「古文書集」所収川口七郎右衛門家蔵文書)御厨みくりや郷のうちとして「西嶋」とみえ、同所など計一千貫文余が松下筑後入道に安堵された。天正一七年(一五八九)七月七日の徳川家七ヵ条定書写(五十子自治会文書)宛先に「遠州西之島百姓等」とある。慶長六年(一六〇一)二月伊奈忠次から「ミくりや西嶋大明神」に社領一石余が安堵された(「伊奈忠次手形」塩竈神社文書)正保郷帳には西之島村とあり、高三四六石余、幕府領


西之島村
にしのしまむら

[現在地名]豊田町西之島

小立野こだての村の南にある。慶長九年(一六〇四)伊奈忠次の検地があり(遠淡海地志)、同一〇年の検地帳によると反別一六町余(井通村々誌)。正保郷帳に村名がみえ、幕府領。田方四九石余・畑方五九石余、徳蔵とくぞう寺領二石五斗・若宮領三石。元禄九年(一六九六)の代官所届出書(井通村々誌)によると一七町五反余のうち新田五町八反余、寅改新田一町三反余。百姓二九(本百姓一五・水呑一四)・人数一三三、馬二、紺屋二軒。


西之島村
にしのしまむら

[現在地名]小牧市西之島

小牧山の西方村中むらなか村の西にあり北は入鹿出いるかで新田に接している。天保の村絵図をみると、集落は村の東にあり、四本の水路が村内を南北に流れている。西端をかすめ三淵みつぶち村に入る矢戸やと(絵図では屋戸川)は、かつての木曾川氾濫原の自然流路の一つと思われる(小牧市史)。「徇行記」によると、概高七〇五石余はすべて藩士一三人の給知。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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