改訂新版 世界大百科事典 「西吟」の意味・わかりやすい解説
西吟 (さいぎん)
生没年:?-1709(宝永6)
江戸前期の俳人。姓は水田,名は元清,通称は庄左衛門,別号は桜山子,落月庵,岡松軒。摂津国巌屋(現,神戸市灘区)の人。摂津守荒木村重の家臣水田和兵衛の4世。水田氏は代々和歌・連歌の風流に遊ぶ文化的家系で,西吟もはやくから大坂に出て宗因に俳諧を学び,のち西鶴に属して有力な取巻きの一人となった。1676年(延宝4)《昼網集》の万句を興行して俳諧宗匠となり,西翁(さいおう)(宗因)の1字を拝領して西吟を名のり,大坂中町に俳諧の会所を開いた。翌年居を摂津国桜塚(現,大阪府豊中市)に移し,住いを落月庵と名づけ,庭に桜・躑躅(つつじ)などを植えて,《桜万句》《羊躑(つつじ)万句》を興行するなど風流に興じた。77年,能書の才を買われて《西鶴俳諧大句数(おおくかず)》の執筆(しゆひつ)をつとめてからはいっそう西鶴に親しみ,執筆・連衆(れんじゆ)として常に側近にあり,《好色一代男》(1682)の跋文と板下(はんした)を書いたのを皮切りに,浮世草子の出版の面でも協力するに至った。
伊丹の鬼貫(おにつら),百丸(ひやくまる)らとも親しく,門人も多い。編著に《庵桜(いおざくら)》(1686),《寝覚廿日(ねざめはつか)》(1688)などがある。〈寝て居よか起きて居ようか花の春〉(《柏崎》)。
執筆者:乾 裕幸
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報