西小鹿村(読み)にしおしかむら

日本歴史地名大系 「西小鹿村」の解説

西小鹿村
にしおしかむら

[現在地名]三朝町西小鹿

小鹿川を挟んで東小鹿村対岸に位置し、小段丘上に広がる。拝領高一六〇石余。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」によれば高一九二石、竈数二七。宝暦三年(一七五三)頃の河村郡村々明細帳(近藤家文書)では朱高一七四石余、高一九六石余、うち畑高四一石余。免五ツ七分で、悪田加損米七石六斗、橋津はしづ御蔵(現羽合町)納。川役銀一五匁・藪役銀二九匁二分が課され、棟数五軒・役高一〇〇人。男一二九・女九六・禅門一・座頭一。産土神として牛頭天王をあげる。比較的畑の割合が高く、原野も多い。片柴かたしば村の青木市兵衛木地山きじやま村の八郎兵衛の出資をうけ、文化九年から文政二年(一八一二―一九)にかけて当村の原野に一〇町六反の新田開発を行った。


西小鹿村
にしおじかむら

[現在地名]根尾村小鹿おじか

東板屋ひがしいたや村の東に位置し、西流する根尾東谷ねおひがしたに川中流右岸山麓に集落がある。下小鹿村とも称した。正保郷帳によれば田一斗余・畑八石余・紙桑木高五石余・山年貢一石余。貞享二年(一六八五)大垣藩内検で村高七四石余となった(大垣領村々高帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android