東小鹿村(読み)ひがしおしかむら

日本歴史地名大系 「東小鹿村」の解説

東小鹿村
ひがしおしかむら

[現在地名]三朝町東小鹿

高橋たかはし村の南東、小鹿川上流右岸の小段丘を中心に広がる。もとは段丘下に七軒からなる集落があったが、しばしば洪水に悩まされ、三軒は東小鹿側、四軒は西小鹿側に上って村を開いたとの伝承をもつ。康永三年(一三四四)一二月日の美徳山領小鹿東別所検注名寄帳(壬生家文書)に小鹿東別所がみえ、当地に比定される。同所は明房(二〇〇歩以上)頭領(一二〇歩)・犬福久福(一反)・得次(不明)山王(二反)子守(二反)の七名で構成され、田地は八反以上あったと考えられる。貞和三年(一三四七)五月二六日、長禅は領家壬生家に対し「小鹿□□□所院主職」に補任されたならば、定められた年貢その他を間違いなく納入すること、解怠した場合は院主職を罷免されること、院主の収入は先例どおりとすること、さらに漆を進納することなどを契約している(「伯耆国三徳山三仏寺院主代長禅請文」同文書)

東小鹿村
ひがしおじかむら

[現在地名]根尾村小鹿おじか

西小鹿村の東に位置し、曲流する根尾東谷ねおひがしたに川左岸沿い山麓に集落がある。上小鹿村とも称した。正保郷帳によれば田三斗余・畑一二石余・紙桑木高八石余・山年貢一石余。貞享二年(一六八五)大垣藩内検で村高六五石余となった(大垣藩村々高帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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