中国古代の西方異民族に対する蔑称(べっしょう)。戎は本来、戎狄(じゅうてき)、戎夷(じゅうい)などとして異民族をさした語であるが、のち西戎として西方民族をいうようになった。彼らは甘粛(かんしゅく)、陝西(せんせい)、山西方面にかけて活躍したらしく、陝西から興った周王朝もしばしばこれに悩まされ、紀元前8世紀前半、西戎の一種犬戎のためにいったん滅ぼされた。西戎は多くの部族に分かれており、春秋前期、秦(しん)の穆(ぼく)公が征したなかには緜諸(めんしょ)の戎、戎(こんじゅう)(昆夷(こんい))、翟
(てきげん)の戎などがあり、そのほかにも義渠(ぎきょ)戎、驪(れい)戎、陸渾(りくこん)の戎とか大茘(たいれい)、烏氐(うてい)、胊衍(くえん)など多くの名が伝えられている。その後は氐(てい)、羌(きょう)などチベット系の諸民族をさして西戎とよぶようになった。
[宇都木章]
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報