西沢笛畝(読み)ニシザワ テキホ

20世紀日本人名事典 「西沢笛畝」の解説

西沢 笛畝
ニシザワ テキホ

大正・昭和期の日本画家,人形工芸家 日本伝統工芸展初代理事長。



生年
明治22(1889)年1月1日

没年
昭和40(1965)年10月24日

出生地
東京・浅草

本名
西沢 昂一

旧姓(旧名)
石川

別名
別名=西沢 比奈舎

主な受賞名〔年〕
紫綬褒章〔昭和34年〕

経歴
荒木寛畝、十畝に師事し、大正3年の文展に「八哥鳥の群れ」が入選し、以後文展・帝展に毎年のように入選する。昭和9年の第15回帝展では審査員となる。また古今東西の人形玩具の研究と収集でも知られ、人形玩具文化の会を主催した。26年文化財保護委員会専門審議員となり、34年紫緩褒章を受章。61年長女の手により、埼玉県越生町に「笛畝人形記念美術館」が開設された。代表作に「巣ぐみ捕えて」「七面鳥」などがあり、著書に「日本人形画集」「日本画の描方」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「西沢笛畝」の意味・わかりやすい解説

西沢笛畝
にしざわてきほ
(1889―1965)

日本画家。大正から昭和にかけて人形玩具(がんぐ)の収集、研究家として知られる。本名昂一。旧姓石川。東京・浅草生まれ。1913年(大正2)、人形収集の大家で有名な実業家西沢仙湖女婿(じょせい)となる。荒木寛畝(かんぽ)の塾に入り花鳥画を学んだが、人形絵で優れ、玩具画集の大冊『うなゐの友』(清水晴風著)の続編を担当して完成させた。34年(昭和9)帝国美術院展覧会(後の日展)審査員。59年紫綬(しじゅ)褒章受章。埼玉県越生(おごせ)町に笛畝人形記念美術館がある。

[斎藤良輔]

『西沢笛畝著『日本の人形と玩具』(1975・岩崎美術社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西沢笛畝」の解説

西沢笛畝 にしざわ-てきほ

1889-1965 大正-昭和時代の日本画家。
明治22年1月1日生まれ。西沢仙湖の娘婿。荒木寛畝(かんぽ)・十畝(じっぽ)にまなび,人形絵を得意とした。文展,帝展などに出品し,また人形の収集と研究につとめた。昭和40年10月24日死去。76歳。東京出身。旧姓は石川。本名は昂一。作品に「巣くるみ捕へて」など。著作に「日本の人形と玩具」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「西沢笛畝」の解説

西沢 笛畝 (にしざわ てきほ)

生年月日:1889年1月1日
大正時代;昭和時代の日本画家;人形工芸家
1965年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の西沢笛畝の言及

【郷土玩具】より

…彼は全国各地に散在するこの種の伝承玩具人形類を採集してそれらを描いた画集《うなゐの友》を1891年に発行し,1913年まで6編を刊行した。彼の死後は日本画家西沢笛畝が継いで24年10編まで担当,初編以来前後33年間を費やして完結した。これが始まりで東京,京阪,名古屋方面を中心に明治末期から大正期にかけて伝承玩具人形類の愛好趣味が全国的に広まった。…

※「西沢笛畝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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