西生寺跡(読み)さいしようじあと

日本歴史地名大系 「西生寺跡」の解説

西生寺跡
さいしようじあと

[現在地名]都城市梅北町 西生寺

梅北うめきた町の南端てんヶ峰北麓にあった。初め同峰北直下に建立されたが、山崩れによってわずかに下方に再興したものと伝える。霧島山大曼荼羅院と号し、本尊阿弥陀如来。山号の由来は仁安二年(一一六七)頃、霧島山麓狭野さの(現高原町)付近にあった寺坊が霧島山の大噴火で灰燼に帰し、当地に移されたことによるという(万延元年「寺院由緒調控」都城島津家文書)。当寺の由来記によれば平重盛が開基と伝え、重盛が病中に霧島嶽の下に寺を建立せよと夢告を受けて快癒した。そこで大橋中将を派遣して狭野に天台宗西生寺を建立、六支院と四二子坊を置き、日吉山王社を鎮守とした。その後住持尋誉の時、一夜神童が尋誉を訪れ、三日後霧島山が噴火するのですみやかに三里外に退けと告げたので、本尊・鎮守山王などを奉じて南方の梅北に移った。はたして霧島山が噴火し、殿堂はことごとく焼失した。これが仁安二年のことであるという(三国名勝図会)。これにより尋誉によって当地に伽藍が造営されたという。当寺山王社仁王像胎内板銘(旧記雑録)によれば、この仁王像は仁安二年三月二日、大施主旦那散位伴兼高ならびに藤原氏の息災延命等を祈願して造立された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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