日本歴史地名大系 「西郷隆盛流謫跡」の解説 西郷隆盛流謫跡さいごうたかもりるたくあと 鹿児島県:大島郡龍郷町龍郷村西郷隆盛流謫跡[現在地名]龍郷町龍郷安政六年(一八五九)西郷隆盛が潜居を命じられた大島の名瀬(なぜ)間切龍郷(たじご)方にあった居宅の跡。南洲流謫跡として県指定史跡。菊池源吾と名乗らせられた西郷は一月一二日阿丹(あざん)崎に着岸、初め龍郷村の美玉新行(やはり流人という)の空家を借りて生活していたが、配流になった際は政治的挫折のせいか、「誠にけとふ人には込(困)り入り申し候」「迚も居られざる所に御座候」といった島への侮蔑の念がその書状にあらわになっている(大西郷全集)。しかし二ヵ月ほどして龍家の好意で龍郷村小浜(こばま)に佐民の空家を借りて移転した頃には、島の子らに読み書きを教えたり、村人と漁猟を楽しんだり、角力を取ったりして、すさんだ心も和らいでいったらしい。一〇月三三歳の西郷は龍家一族の佐恵志の娘の愛加那(二三歳)を妻に迎えている。在島中の西郷は島民が信仰するユタの迷信の悪弊を改めさせたり、ヤンチュ(家人)やヒザ(その子)の解放に努めたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by