見座村(読み)みざむら

日本歴史地名大系 「見座村」の解説

見座村
みざむら

[現在地名]朝日村見座

飛騨川の右岸にあり、西はつじ村・小屋名こやな(現久々野町)、北は美女びじよ峠の尾根大島おおしま(現高山市)および辻村。辻村との境は美女高原地帯で、美女ヶ池や沼地がありミズバショウの群生地。耕地や集落は飛騨川沿いにある。山口やまぐち(現高山市)から美女峠道より西寄りに旧道があり、これを鎌倉街道または善光寺道と称し峠を下って当村に至り、飛騨川に架設したおお橋を渡ってかぶと村へ出た。奥山中おくさんちゆう(現高根村)への近道として飛騨川右岸沿いの道が通る。


見座村
みざむら

[現在地名]平村見座

相倉あいのくら村の東方、庄川左岸の南向き斜面に位置し、平地に家が集まり、北の山地へ耕作地が広がる。正保郷帳に村名がみえるが、隣接する中畠なかばたけ村と併記されており、合せた高は二〇四石余、田方三反余・畑方一三町二反余。明暦二年(一六五六)の当村の高一一八石余、免四ツ三歩六厘、同年から納所金子二三両八分余・塩硝役金子一両二匁四分余・手上金子一両四分余、蝋・漆・蓑・紙役金子一両一匁五分余、計二六両八分余を課せられており、この代銀一貫二一八匁余を夏成・冬成の両度に納めた(天保一〇年「草高免付百姓数品々帳」利賀村公民館蔵)


見座村
みざむら

[現在地名]上宝村見座

高原たかはら川と双六すごろく川の合流点左岸河岸段丘低段部にあり、南東宮原みやはら村、南西在家ざいけ村・本郷ほんごう村。慶長一八年(一六一三)の飛騨国郷帳では高原郷に属し、高五三石余。元禄検地反歩帳によると、高一二八石余、田一町八反余・畑二四町三反余。「飛騨国中案内」では平地で、免二割七分六厘余、家数二五(うち百姓二三・門屋二)。字御堂の前の板橋は、長さ一九間・幅九尺で、国中割合の普請橋とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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