許昌(読み)きょしょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「許昌」の意味・わかりやすい解説

許昌
きょしょう / シュイチャン

中国河南(かなん)省中央部にある地級市。2市轄区、2県を管轄し、2県級市の管轄代行を行う(2016年時点)。人口499万8000(2014)。京広線沿線にあり、孟平(もうへい)線(漯河(らが)―平頂山(へいちょうざん))、平禹線(平頂山―禹州(うしゅう))も市内を通る。自動車道も鄭州(ていしゅう)、開封(かいほう)、襄城(じょうじょう)などに通じる。「タバコ王国」とよばれ、1915年以降、烤煙(カオイエン)(火で乾燥させるタバコ)栽培が盛んであり、本市はその集散地である。このほか、小麦や野菜、漢方薬材を産する。また車両、農業機械などの製造業が発達している。春秋時代に許国の国都が置かれ、後漢(ごかん)末には曹操(そうそう)が本拠地とするなど、中原(ちゅうげん)の一中心として発展した。

[駒井正一・編集部 2017年12月12日]

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改訂新版 世界大百科事典 「許昌」の意味・わかりやすい解説

許昌 (きょしょう)
Xǔ chāng

中国,河南省中部,京広鉄道(北京~広州)沿線の商工業都市。人口37万(2000)。2市2県を管轄する。西周・春秋時代は許国の地で,秦代に許県となり,後漢末,関中が混乱状態におちいったとき,曹操は献帝を擁して天下に覇をとなえようとこの地に都した。三国の魏のとき許昌と改められた。五都(ほかに洛陽,長安,譙(しよう),鄴(ぎよう))の一つである。五代・唐のとき許田県と改められ,宋代に長社県に,明代は許州の州治となる。1913年に許昌県に改められ,47年に市区に許昌市が置かれた。自動車道路が南陽に通じ,省南西部の物資の鉄道への積替地である。周辺農村は小麦,大豆綿花,ゴマの生産が多く,とりわけ良質のタバコの主産地として有名である。工業の中心はタバコ製造で,他に機械,化学工業が発達している。宋代より陶磁の生産でも知られ,許州窯があった。
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百科事典マイペディア 「許昌」の意味・わかりやすい解説

許昌【きょしょう】

中国,河南省中部にある都市。京広鉄路に沿う交通商業要地付近は良質のタバコの産地。旧名を許州といい周代から開けた古都で,曹操根拠地としても有名。42万人(2014)。

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