日本大百科全書(ニッポニカ) 「諸国風俗問状答」の意味・わかりやすい解説
諸国風俗問状答
しょこくふうぞくといじょうこたえ
江戸末期に、幕府の御用学者であった屋代弘賢(やしろひろかた)が、諸国に、風俗に関する木版刷りの質問状を送って答えを求めた。それが風俗問状であり、それに対する答書が風俗問状答である。後世、散逸していた答書を集成して「諸国」の文字を冠した。屋代弘賢は1758年(宝暦8)生まれ、1841年(天保12)に84歳で死去。最終的な地位は表御右筆(ごゆうひつ)勘定格であった。問状の発送は1813年(文化10)から2、3年の間であったろうと推測されているが、発送の目的や発送先、答書の数などは明らかでない。『古今要覧稿』の資料集めのためではないかといわれている。1916年(大正5)、柳田国男(やなぎたくにお)は5種ほどの答書の存在を知り、民俗の通信調査として先駆的な業績を評価し、未発見の答書の発掘を呼びかけた。現在までに発見されている風俗問状答は次の21(別に異本1)種である。陸奥(むつ)国信夫(しのぶ)郡伊達(だて)郡・陸奥国白川領・出羽(でわ)国秋田領・常陸(ひたち)国水戸領・越後(えちご)国長岡領・北越月令(げつれい)・三河国吉田領付遠江(とおとうみ)風俗大概・伊勢(いせ)国白子(しろこ)領・大和(やまと)国高取領・若狭(わかさ)国小浜(おばま)領・近江(おうみ)国多羅尾(たらお)村・丹後(たんご)国峯山(みねやま)領・備後(びんご)国福山領・備後国深津郡本庄(ほんじょう)村・備後国品治(しなじ)郡・備後国沼隈(ぬまくま)郡浦崎村・紀伊国和歌山・淡路国・阿波(あわ)国・阿波国高河原(たかがわら)村・肥後国天草(あまくさ)郡。
[井之口章次]
『中山太郎著『校註諸国風俗問状答』(1942・東洋堂)』▽『竹内利美・原田伴彦・平山敏治郎編『日本庶民生活史料集成 第9巻 風俗』(1969・三一書房)』