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譚平山 たんへいざんTan Ping-shan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

譚平山
たんへいざん
Tan Ping-shan

[生]光緒12(1886).9.28. 広東高明
[没]1956.4.2. 北京
中国の政治家。 1920年北京大学を卒業し,中国共産党に入党。陳独秀李大しょうとともに初期の共産党を指導した。 23年国共合作下の国民党入党し,組織部長のち農民部長,工人部長を歴任。 26年モスクワで開かれたコミンテルン第7回大会に中国代表として出席し,中央執行委員に選ばれ,帰国後国共分裂のなかで 27年共産党から除名された。のち中国国民党臨時行動委員会を組織。 45年三民主義同志会を結成して 48年国民党革命委員会に合流し,49年同委員会の代表として人民政治協商会議に出席。中華人民共和国成立後,全国人民代表大会常務委員会委員に選ばれた。

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百科事典マイペディアの解説

譚平山【たんへいざん】

中国の政治家中国共産党初期の指導者広東省の人。1924年の国共合作で国民党にも入り,その組織部長,1927年武漢政府の農民部長を歴任したが,1929年日和見(ひよりみ)主義者として中共から除名され,香港亡命。以後,三民主義同志連合会を結成して,再び中共支持に傾き,1949年9月には国民党革命委員会代表として人民政治協商会議に出席した。解放後は全国人民代表大会常任委員,人民監察委員会主任。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

譚平山
たんへいざん / タンピンシャン
(1887―1956)

中国の政治家。広東(カントン)省で苦力(クーリー)の子に生まれ、1920年北京(ペキン)大学を卒業。李大(りたいしょう)・陳独秀(ちんどくしゅう)と並び創設直後の中国共産党の三大指導者の1人。国共合作後は1924年に組織部長、1926年に農民部長・工人部長、1927年にはコミンテルン第7回大会に出席。武漢政府の農民部長を務め、南昌(なんしょう)暴動に参加したことを理由に国民党と共産党の双方から除名され、1929年以来香港(ホンコン)で第三党の政治活動を続けた。1938年、国民党籍を回復、1945年には三民主義同志連合会を結成、1948年には国民党革命委員会の常務委員、新中国の建設に参加して中央人民政府委員、1954年全国人民代表大会広東省代表などを務めた。[加藤祐三]

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