谷口善太郎
たにぐちぜんたろう
(1899―1974)
政治家。石川県生まれ。陶器工場の徒弟をしつつ高等小学校を卒業。清水焼工場に就職し陶磁器工を組織、1923年(大正12)日本共産党に入党し、京都の労働運動で活躍した。三・一五事件(1928)で検挙され、肺結核で自宅療養中、磯村秀次(いそむらひでつぐ)の名で『日本労働組合評議会史』を執筆、また須井一(すいはじめ)名で小説『綿』『清水焼風景』、加賀耿二(かがこうじ)名で『血の鶴嘴(つるはし)』などを発表しプロレタリア作家としても評価された。第二次世界大戦後、党再建に参加、1961年(昭和36)以降中央委員。1949年京都1区から衆議院当選、以来通算6期。
[荒川章二]
『『綿・幼き合唱』(新日本出版社・新日本文庫)』▽『『谷口善太郎小説集』(1963・新日本出版社)』▽『『日本労働組合評議会史』(1975・新日本出版社)』▽『『日本プロレタリア文学集29 谷口善太郎集』(1986・新日本出版社)』
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谷口 善太郎
タニグチ ゼンタロウ
大正・昭和期の政治家,作家 元・衆院議員;元・日本共産党中央委員。
- 生年
- 明治32(1899)年10月15日
- 没年
- 昭和49(1974)年6月8日
- 出生地
- 石川県能美郡国府和気(現・辰口町)
- 別名
- 筆名=磯村 秀次,須井 一(スイ ハジメ),加賀 耿二(カガ コウジ),田井 善三
- 学歴〔年〕
- 高小卒
- 経歴
- 大正10年京都で清水焼工場に就職、11年京都府陶磁器従業員組合に加入、陶磁器工ストライキを指導。12年日本共産党京都支部創立に参加、13年京都労働学校を設立。昭和3年3.15事件で検挙されたが、結核で出所。病臥中に磯村秀次の名で「日本労働組合評議会史」を書く。また須井一、加賀耿二の筆名で「綿」「清水焼風景」などの小説を発表。15年中央公論特派員として中国を視察、16年大映に入社。戦後20年共産党再建に参加、京都府委員。24年衆院議員に当選。25年のレッドパージで追放され、27年解除、党京都府委員長。35年総選挙で当選、以後連続6回当選。45年同党国会議員団長。この間36年から同党中央委員を務めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
谷口 善太郎
タニグチ ゼンタロウ
- 肩書
- 元・衆院議員,元・日本共産党中央委員
- 別名
- 筆名=磯村秀次 須井一 加賀耿二 田井善三
- 生年月日
- 明治32年10月15日
- 出生地
- 石川県能美郡国府和気(現・辰口町)
- 学歴
- 高小卒
- 経歴
- 大正10年京都で清水焼工場に就職、11年京都府陶磁器従業員組合に加入、陶磁器工ストライキを指導。12年日本共産党京都支部創立に参加、13年京都労働学校を設立。昭和3年3.15事件で検挙されたが、結核で出所。病臥中に磯村秀次の名で「日本労働組合評議会史」を書く。また須井一、加賀耿二の筆名で「綿」「清水焼風景」などの小説を発表。15年中央公論特派員として中国を視察、16年大映に入社。戦後20年共産党再建に参加、京都府委員。24年衆院議員に当選。25年のレッドパージで追放され、27年解除、党京都府委員長。35年総選挙で当選、以後連続6回当選。45年同党国会議員団長。この間36年から同党中央委員を務めた。
- 没年月日
- 昭和49年6月8日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
谷口善太郎 たにぐち-ぜんたろう
1899-1974 大正-昭和時代の社会運動家,政治家,小説家。
明治32年10月15日生まれ。高等小学校を卒業後,京都の清水(きよみず)焼の陶工となる。大正11年共産党に入党。日本労働組合評議会の中央常任委員。三・一五事件で検挙され,出所後作家活動にはいる。昭和24年衆議院議員(当選6回,共産党)。昭和49年6月8日死去。74歳。石川県出身。筆名は須井一(はじめ),加賀耿二(こうじ)。作品に「綿」「清水焼風景」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
谷口 善太郎 (たにぐち ぜんたろう)
生年月日:1899年10月15日
大正時代;昭和時代の政治家;小説家。衆議院議員
1974年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報