日本大百科全書(ニッポニカ) 「豊原統秋」の意味・わかりやすい解説
豊原統秋
とよはらのむねあき
(1450―1524)
室町時代の楽人、歌人。法名忠霽(ちゅうせい)。豊原氏は京都方に属した楽家で、笙を家芸とした。統秋は父冶秋(はるあき)について家芸を習得、20歳にもならぬ若さで秘事を伝授され一流を相承した。1518年(永正15)雅楽頭(うたのかみ)、翌年には正五位下(しょうごいのげ)に叙せられた。後柏原天皇(ごかしわばらてんのう)をはじめ公武の貴紳の師範をつとめ、その傍ら廃絶の危機にある楽道の伝承を願い、『體源抄(たいげんしょう)』『舞曲口伝(ぶきょくくでん)』を著した。和歌は三条西実隆(さんじょうにしさねたか)に師事し、家集『松下抄(鈔)』『豊原統秋千首』などがあるが、連歌師宗長(そうちょう)らと親交を結び、茶の湯にも長じた。日蓮宗の熱烈な信者であった。
[植木行宣]