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戸外の明るくて清新な光や色彩の効果を重視して、作品を終始戸外で描こうとする考え方を外光主義といい、そうした制作方法をとる画家たちを総称して外光派という。風景画制作にもっともかかわりの深いことばで、ターナーやコンスタブル、コローやミレーといった先例がありはするが、19世紀後半以降のフランスでもっとも熱心で実り豊かな追求がなされた。モネを初めとする印象派の風景画家はほとんどすべてこの立場をとっており、彼らを直接に先駆した画家としてはクールベ、ヨンキントそしてブーダンがあげられる。西洋では、現場での写生を基礎として、アトリエ内の人工的な光線のもとで油絵を仕上げるというのが、風景画制作の伝統であった。だが近代的な実証主義思潮の登場とともに、絵画史のうえでもあるがままの自然を冷静かつ客観的に描こうとする写実主義の考え方が強まり、光が物の形および色彩に及ぼすもろもろの作用や、大気の乾湿の度合いにも注意が向けられ、伝統的な制作法への疑問とも相まって、外光主義は1850、60年代に革新的な考え方として多くの優秀な画家によって採用され始めた。色調分割その他印象派の理論も、この考え方の延長線にほぼ必然的な形で現れてくることとなる。黒田清輝(せいき)や久米桂一郎(くめけいいちろう)がフランスから19世紀末の日本に持ち帰った画風も一種の外光主義であって、厳密には印象主義と認めがたい点が多いといわざるをえない。
[池上忠治]
19世紀後半のフランスの画派。また明治中期の日本洋画の一派。フランスの場合は二つあり,一つは1850-60年代にアトリエから戸外へ出て外光のもとで制作しはじめたコローなどバルビゾン派の一部や,ブーダンなどル・アーブル地方の海辺で終始戸外で制作して印象派の先駆となった画家たちである。いま一つは,1880年代以後,印象派が評価をうけてから,従来のアカデミックな描写や表現に印象派風の外光描写をとりいれた折衷画派をさす。後者は,バスティアン・ルパージュJules Bastien-Lepage(1848-84),コランなどで,イタリア,ドイツ,ロシアなどにもその影響が及んだ。日本ではコランに学んだ黒田清輝,久米桂一郎によって明治20年代後半(1890年代)にもたらされ,陰影部分に紫を用いたことから紫(むらさき)派,また新派と呼ばれ,それ以前の明治初期以来の洋画家たちを脂(やに)派,旧派と呼んだ。日本の外光派は明治30年代白馬会に結集し,旧派を圧倒して大正期まで日本洋画界の主流を形成した。
執筆者:陰里 鉄郎
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…明治期の洋風美術団体。1896年黒田清輝,久米桂一郎を中心とする外光派の画家たちによって結成された。はじめ黒田らも明治美術会に参加していたが,芸術家の自由を標榜し感覚の解放を求める外光派の人たちにとって会の古い体質は耐えがたく,退会して新たな団体をつくることになったものである。…
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