日本大百科全書(ニッポニカ) 「美術教育」の意味・わかりやすい解説
美術教育
びじゅつきょういく
美術教育は2種類に大別され、美術の専門家養成や愛好家の知識・技術を深めるためのものと、幼稚園、保育所、初等・中等教育段階で展開されるものとがある。
前者はおおむね「美術の教育Education for Art」を柱にした教育的な活動であり、表現および鑑賞にかかわるすべての力の形成を目ざすものである。たとえば、平面表現力、立体表現力、心象表現力、適応(目的)表現力、鑑賞力、技法理解、技術・技能の獲得、美術理解、美術史理解、作家理解等々があげられる。後者は「美術による教育Education through Art」を基底理念にした、究極的には豊かな感性、知性あるいはコミュニケーション力等の人間形成を目標とする教育活動である。
師伝(師匠から伝授されるもの)という視点で美術教育をとらえるのであれば、西洋中世の徒弟制度における活動等は前者の美術教育の典型である。あるいは近年の絵画教室や新聞社主催の文化教室等における活動も前者に包含される。一方、後者は、日本においては明治初頭の学制を節目に、普通教育のなかに位置づけられて、時代の要請や影響を受けて紆余曲折を経験しながら、いまなお進化(深化)の過程にある教育の一つである。以下、後者(美術による教育)について記述する。
[大林正昭・若元澄男]
沿革
日本における普通教育としての美術教育は1872年の学制からであり、画学や罫画(けいが)が教科としてあげられていた。1881年の小学校教則綱領からは図画という名称が使用されるようになった。大正期に自由画教育運動が起こるまでの間は、鉛筆画から毛筆画への転換や手工教育の開始などの動きがみられるものの、実用主義を旨とし、手本を模写する臨画主義の教育が大勢であった。このような教育は美術教育ではないと、洋画家山本鼎(かなえ)によって非難されたのも理由のないことではない。日本美術教育史に期を画する自由画教育運動は彼によって提唱された。この運動によって、児童画の価値が認識されるようになり、子供の個性を尊重し創造性を育てていくことが美術教育の原理となった。自由画教育運動以後今日までの美術教育史は、この運動からなんらかの影響を受け、その欠点や偏りを補い修正していこうとするものであった。
[大林正昭・若元澄男]
現代
先人の努力にもかかわらず、学校等における美術教育はいまだ盤石の地位を獲得していない。このことは、作品主義に象徴される美術教育の実態、すなわち機能や役割に関する誤解・認識不足が主たる原因とも考えられる。作品を巧みに制作するための技術習得だけが美術教育の目標という解釈が、社会的に払拭されていない。
美術教育の本質的目的は、極言すれば「表現と鑑賞を通し、人をつくる」に帰着する。教師のイメージする完成像に向かって、作品を描かせ、つくらせ、それで終了ではない。とりわけ学校等における美術教育は、「みる・かく・つくる」活動(表現と鑑賞)とともに、美術力(感じる力、考える力、みる・かく・つくる力)を錬磨するものでなければならない。
感じるのは脳、考えるも脳、そして人が、みる・かく・つくることができるのも脳によるものである。そうであれば、美術力形成は脳を鍛えることにもなり、ひいては人間力に直結する。このように「人づくり」と重なることが、学校に美術教育が存在する意味を裏づけることになる。
[大林正昭・若元澄男]
『山形寛著『日本美術教育史』(1988・黎明書房)』▽『若元澄男編『図画工作・美術科――重要用語300の基礎知識』(2000・明治図書出版)』▽『大橋功他監修『美術教育概論』改訂版(2009・日本文教出版)』▽『藤澤英昭・水島尚喜編『図画工作・美術教育研究』第3版(2010・教育出版)』