朝日日本歴史人物事典 「足利高基」の解説
足利高基
生年:文明17?(1485)
戦国時代の武将。政氏の子。3代古河公方。初名は高氏。左兵衛佐。永正3(1506)年,上杉顕定と結ぶ父の古河公方権勢回復路線に反発し,妻の実家下野宇都宮氏のもとに走る。いったんは顕定の仲介で和睦し古河に戻るが,同7年父子間は再度決裂,重臣簗田氏の下総関宿城へ移って東国大名たちの支持を集め,同9年に政氏が下野小山へ移ると古河城に入り,名実ともに古河公方となった。北条氏綱・氏康父子と結んで公方権勢の回復路線を目指し,氏綱娘を嫡子晴氏の妻に迎えるが,かえって政治的介入を受ける結果となる。これより先,独自の立場をとる弟の義明が,房総里見氏,上総武田氏らと結んで反高基・北条氏の旗色を表したため,これと激しい抗争を展開,その間嫡子晴氏とも対立を始めて隠居した。晩年は中風に苦しみながら,骨肉の争いに明け暮れた一生を終えた。<参考文献>佐藤博信『古河公方足利氏の研究』
(市村高男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報