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足利高基 あしかがたかもと

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

足利高基
あしかがたかもと

[生]文明17(1485)
[没]天文4(1535).6.8.
室町時代後期の武将。政氏の子。古河公方 (1512~35) 。父と対立して古河を離れたが永正6 (09) 年和解。のち北条氏と結び勢力拡大をはかったが失敗。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

足利高基 あしかが-たかもと

?-1535 戦国時代の武将。
2代古河公方(こがくぼう)足利政氏の長男。北条早雲の画策により,一度和解した父とふたたび対立。永正(えいしょう)9年(1512)父を古河から追放し,3代となる。その後,息子晴氏の妻に北条氏綱の娘をむかえ,勢力の回復をはかるが弟義明,さらに晴氏とも対立し,享禄(きょうろく)4年ごろ隠居した。天文(てんぶん)4年6月8日死去。幼名は亀王丸。初名は高氏。

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朝日日本歴史人物事典の解説

足利高基

没年:天文4.10.8(1535.11.3)
生年:文明17?(1485)
戦国時代の武将。政氏の子。3代古河公方。初名は高氏。左兵衛佐。永正3(1506)年,上杉顕定と結ぶ父の古河公方権勢回復路線に反発し,妻の実家下野宇都宮氏のもとに走る。いったんは顕定の仲介で和睦し古河に戻るが,同7年父子間は再度決裂,重臣簗田氏の下総関宿城へ移って東国大名たちの支持を集め,同9年に政氏が下野小山へ移ると古河城に入り,名実ともに古河公方となった。北条氏綱・氏康父子と結んで公方権勢の回復路線を目指し,氏綱娘を嫡子晴氏の妻に迎えるが,かえって政治的介入を受ける結果となる。これより先,独自の立場をとる弟の義明が,房総里見氏,上総武田氏らと結んで反高基・北条氏の旗色を表したため,これと激しい抗争を展開,その間嫡子晴氏とも対立を始めて隠居した。晩年は中風に苦しみながら,骨肉の争いに明け暮れた一生を終えた。<参考文献>佐藤博信『古河公方足利氏の研究』

(市村高男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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