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足柄城 あしがらじょう

日本の城がわかる事典の解説

あしがらじょう【足柄城】

神奈川県南足柄市から静岡県駿東郡小山町にかけての足柄峠にあった山城(やまじろ)。戦国時代の北条氏の城。山中城(静岡県三島市)、韮山城(静岡県伊豆の国市)とともに箱根の重要な防衛拠点だった。駿河の今川氏輝は相模の北条氏綱と姻戚関係(同盟関係)にあり、甲斐の武田信虎(信玄の父)と敵対していたが、信虎は氏輝の死後に起こった花倉の乱(今川氏の後継者争い)で今川義元を支持したことから関係が好転し、1537年(天文6)に信虎の長女定恵院を義元に嫁がせたことで縁戚関係になった。これに怒った北条氏綱は、箱根を越えて今川領河東郡に進出し今川氏と争った(河東一乱)。足柄城は、この乱の後に氏綱によって築城されたのではないかとも推定されているが、くわしいことはわかっていない。1554年(天文23)に北条氏康・武田信玄・今川義元が結んだ三国同盟が1568年(永禄11)に破綻すると、北条氏と武田氏の間で駿河(静岡県)の深沢城(静岡県御殿場市)をめぐる争いが激化した。このとき、足柄城では大規模な改修が行われている。深沢城は1571年(元亀2)に武田氏に攻略されたため、同城の北条綱成は足柄城に後退して守りを固めた。1587年(天正15)には北条氏光が城番として在城し、豊臣秀吉の東征に備えて大規模な改修が行われた。現在残っている城跡の規模になったのは、1590年(天正18)の小田原の役直前だったのではないかと考えられる。小田原の役では、足柄城に佐野城(唐沢山城、栃木県佐野市)主の北条氏忠(氏康六男)が入城したが、氏忠は三島の山中城が陥落すると小田原城に退却し、あとを依田大膳亮が守備していたが、徳川家康麾下の井伊直政に攻撃されて開城・退却し、そののち廃城となった。現在、城跡には曲輪(くるわ)、堀切、土塁、井戸跡、池跡、石積みなどの遺構が残っている。JR御殿場線駿河小山駅からバス。または同駅から徒歩約2時間。◇霞城とも呼ばれた。

出典|講談社日本の城がわかる事典について | 情報

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