出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…重信町横河原付近に形成された扇状地は砂礫層が厚く堆積して天井川となり,平時は伏流しほとんど表流水がみられない。古くは伊予川と称したが,文禄・慶長期(1592‐1615)ころに松山藩主加藤嘉明の重臣足立重信が改修したことから,その功績をたたえ重信川と改められた。改修工事は,加藤氏の後,蒲生氏,松平氏と松山藩主に引き継がれ,どの部分が重信の施工かは定かではないが,改修前の伊予川は松山市高井付近から現在の流路の南方を麻生(あそう),八倉,徳丸,出作,大溝を経て松前(まさき)の南で伊予灘に注いでいたと考えられている。…
※「足立重信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」