躑躅崎館(読み)つつじがさきやかた

改訂新版 世界大百科事典 「躑躅崎館」の意味・わかりやすい解説

躑躅崎館 (つつじがさきやかた)

甲斐戦国大名武田氏の居館。現在甲府市古府中町にその跡が残る。1519年(永正16)最初に館を築いた信虎が石和川田館から移り住み,81年(天正9)に勝頼が新府韮崎に築城して移るまで,武田3代の領国統治の中心であった。館の北方4kmに位置する石水寺丸山には要害城が築かれ,館とともに館城の役割をになっていた。館の規模は堀を含めて東西約200m,南北約190m,面積約1万3930坪(4万6000m2)で,館のまわりには堀がめぐらされ,その内側は土塁で囲んであった。館内は東曲輪,中曲輪,西曲輪に大きく分かれていて,東曲輪には国政事務をつかさどる建物があり,来客の部屋や家臣のたまり部屋などが設けられていた。中曲輪は武田氏の日常の居館,西曲輪は女子どもの住居からなっていた。現在館跡には武田神社が建てられているが,戦国大名の居館の模様を伝え,国の史跡に指定されている。
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百科事典マイペディア 「躑躅崎館」の意味・わかりやすい解説

躑躅崎館【つつじがさきやかた】

現在の甲府市北部,日影山南麓,相川扇状地に造営された戦国大名甲斐武田氏の居館。1519年武田信虎が築き,信虎以後も武田信玄武田勝頼の領国支配の拠点として機能。1581年勝頼が韮崎(にらさき)の新城(新府城,現韮崎市)に移った際に破却。東曲輪(くるわ)・中曲輪からなる主郭部は武田氏の居所政庁を兼ね,ほかに稲荷曲輪・御隠居曲輪・西曲輪などからなる。西曲輪出入口には武田氏の城に特徴的な枡形虎口(こぐち)を採用。1919年館跡に武田信玄を祭神とする武田神社が建立され,現在一帯は武田氏館跡の名称で国史跡指定。

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