フランク帝国および神聖ローマ帝国の重要な地方高官マルクグラーフの訳語。主として辺境防衛の任にあたる。カール大帝は帝国防衛のために,国境地方にマルク(辺境)と呼ばれる広域の軍事・行政管区を設けた。例えば,ピレネー山脈以南のスペイン・マルク,帝国南東部パンノニアのマルク・フリアウルなどであり,そこには中央からほとんど国王の全権を与えられた辺境伯が派遣された。その後オットー1世はスラブ人,マジャール人の侵入に備えて東部辺境防衛体制を再編成し,エルベ川地方のノルトマルク,バイエルン東部のオストマルクなど一連のマルクをもって国境を固め,有力な諸貴族に辺境伯の任務を託した。これらのマルクは11世紀になると,それぞれ数個の小マルクに分かれる傾向を示し,そこからブランデンブルク,マイセン,オーストリア,シュタイアーマルクその他諸マルクが成立した。辺境伯は通常の伯(グラーフ)よりはるかに大きな権限をもち,その国制上の地位は大公に類似するものであった。彼は辺境管区全体に国王代理者として臨み,軍事高権と最高の裁判権,全住民に対する命令権を行使したほか,国家領,王領は事実上彼の管轄下にあった。したがって,帝国官職の封建化という趨勢の中で,辺境伯の地位を世襲化した貴族諸家は他の諸貴族に先がけて自立的領域支配の形成に突き進み,東方植民運動の展開とも関連して,辺境伯はドイツにおける最初の領邦国家形成者となった。
執筆者:山田 欣吾
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フランク王国や神聖ローマ帝国において、軍事上重要な辺境地域に置かれた官職。フランク王国の通常の地方行政組織として伯管区(グラーフシャフト)が設けられ、その統括者は伯(グラーフ)であったが、外敵の侵入のおそれのある国境地帯にはマルクMark(辺境区)が置かれ、その統括者が辺境伯とよばれた。イベリア半島のイスラム人に対して置かれたスペイン・マルク、マジャール人に対するバイエルンのオスト・マルクなどがそれである。マルクには防御のための城塞(じょうさい)網が設けられ、軍事的植民が行われ、辺境伯には大幅な軍事指揮権が与えられた。封建制の進展の結果、辺境伯職は封建化し、やがて大公(ヘルツォーク)と一般の伯(グラーフ)の中間にランクされる封建諸侯の称号に変質した。辺境伯の権限が大公のそれに類似していたため、若干の辺境伯領は大公領に昇格し(ブルターニュ大公領、オーストリア大公領など)、また辺境伯領が細分化される事態(ザクセンのオスト・マルクが、ブランデンブルク辺境伯領、ラウジッツ辺境伯領、マイセン辺境伯領に分割された例など)も生じた。封建諸侯の称号としての辺境伯は、イギリスにも例がある。
[平城照介]
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フランク帝国,神聖ローマ帝国が国境防備の必要上,軍事植民により設置したマルク(辺境地区)の最高の軍隊指揮官,行政官。ブランデンブルク,オーストリアなどでは領邦君主に成長。または封建諸侯の称号の一つ。
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…封建制度の発達にともなって,両者はいずれも官職的性格を失って,封建諸侯の称号となり,公は国王の直属封臣のうち最高の位を占めた。公と伯の中間に位置する侯は,もともとフランク王国時代に,異民族との辺境地域の統治をゆだねられた辺境伯(ドイツ語はマルクグラーフMarkgraf)に由来し,その軍事的重要性のゆえに,しばしば公の名を帯びたが,のちにはこうした歴史的起源とは無関係な,封建貴族の称号となる。スペインやポルトガルでは,14~15世紀以降,有力貴族にこの称号(マルケスmarqés)がさかんに与えられた。…
…トスカナの工業は,ピエモンテ,ロンバルディア,リグリア,エミリア・ロマーニャ,ベネトの北イタリア5州に続く地位をもつと考えられている。
【歴史】
[辺境伯領]
トスカナはかつてTuscia(トゥスキアないしトゥシア)と呼ばれた。古代エトルリア人の居住した地域で,その名称はエトルスキの別名トゥスキTusciに由来する。…
※「辺境伯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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