迎賓館(読み)ゲイヒンカン

デジタル大辞泉 「迎賓館」の意味・読み・例文・類語

げいひん‐かん〔‐クワン〕【迎賓館】

外国からの賓客を歓迎し、もてなすための建物
明治期洋風建築の代表作の一。東京元赤坂にある。旧赤坂離宮。明治42年(1909)フランスの宮殿様式を模した建物が完成、昭和49年(1974)の改修後、外国の賓客の接待宿泊のための建物となる。国宝
[補説]は、明治以降の文化財では初めて国宝に指定された。

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関連語 実例

精選版 日本国語大辞典 「迎賓館」の意味・読み・例文・類語

げいひん‐かん‥クヮン【迎賓館】

  1. [ 1 ] 外国からの賓客をもてなすための建物。
    1. [初出の実例]「この『新僑飯店』は迎賓(ゲイヒン)館らしい」(出典:赤い国の旅人(1955)〈火野葦平〉四月二八日)
  2. [ 2 ] 東京元赤坂にある旧赤坂離宮のこと。明治期の洋風建築の代表作の一つ。フランスの宮殿様式を模したもので、明治四二年(一九〇九)完成。昭和四九年(一九七四)改修し、外国の賓客のための施設となる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「迎賓館」の意味・わかりやすい解説

迎賓館
げいひんかん

東京都港区元赤坂2丁目にある国賓公賓のための宿泊所。この場所は江戸時代には紀州徳川家中屋敷の西苑(せいえん)であったが、1872年(明治5)に皇室に献上され赤坂離宮となり、73年の皇居炎上後は仮皇居となった。88年明治宮殿の竣工(しゅんこう)後は東宮御所に利用、99年からフランスの宮殿建築を模して現在の建物が建設された。耐震を考慮して建築面積の約3割が壁部分になり、構造は鉄骨・れんが造で、表面は花崗(かこう)岩が張られている。地下1階、地上2階のこの建物の建設にあたっては、明治の一流の画家、工芸家が動員され、室内装飾を華やかにしている。設計は片山東熊(かたやまとうくま)で、バロック風を基調とし新古典主義を加えている。1909年に完成、第二次世界大戦後の48年から国会図書館や内閣法制局が使用したが、67年に迎賓館に改めることになり、翌年から村野藤吾(とうご)の指導により改修工事を開始、74年に竣工。この際、谷口吉郎(よしろう)設計の和風意匠の別館が付設されている。

[工藤圭章]


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事典・日本の観光資源 「迎賓館」の解説

迎賓館(旧・赤坂離宮)

(東京都港区)
新東京百景」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の迎賓館の言及

【赤坂離宮】より

…皇室のかつての離宮,東宮御所で,現在は迎賓館。東京都港区元赤坂にある。…

【ネオ・バロック様式】より

…ブリュッセルの高等裁判所(1866‐83),ウィーンの王立劇場(1874‐88),ベルリンの帝国議事堂(1884‐94)などはその代表作として著名である。日本でも,明治10年代から第二帝政式の影響が顕著に現れ,赤坂離宮(現,迎賓館,1909)でほぼ完全なネオ・バロック様式を実現している。【桐敷 真次郎】。…

【ホワイトホール】より

…13世紀以来ここにはヨーク大司教の居館があったが,16世紀にウルジー枢機卿が拡張を加えたものを,1529年ヘンリー8世が没収し,ホワイトホール宮殿とした。17世紀ジェームズ1世の治世にイニゴ・ジョーンズの設計で大規模な改修が行われたが,1698年の火災で迎賓館Banquetting Houseを除いて焼失した。迎賓館は,国王チャールズ1世の処刑と権利宣言の提出の行われた歴史的な建物である。…

※「迎賓館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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