赤坂離宮(読み)あかさかりきゅう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

赤坂離宮
あかさかりきゅう

東京都港区赤坂にある洋風建築。 1872年旧紀伊藩主徳川茂承が同藩の所有であった上屋敷建物,敷地を天皇家に献上したもので,同年赤坂離宮と命名された。 73年皇城の焼失により,89年まで仮皇居として使用された。現在の建物は皇太子時代の大正天皇のために計画されたもの。片山東熊が設計を担当し,1909年完成。建築様式は当時の欧米の宮廷建築の通例であった新バロック様式が採用された。地震を考慮して煉瓦造石張り構造体をアメリカ製の鉄骨で補強した建築構造が注目される。室内は最高級の輸入調度品と今泉雄作浅井忠黒田清輝など当時の一流芸術家の作品で豊かに装飾された。現在は迎賓館となっている。 74年に村野藤吾によって改修された。

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百科事典マイペディアの解説

赤坂離宮【あかさかりきゅう】

東京都港区元赤坂,かつての紀州徳川家の屋敷跡にある,ベルサイユ宮殿を模した洋式宮殿。紀州邸は1873年―1889年仮皇居,のち東宮御所となった。現在の離宮は1898年片山東熊の設計により東宮御所として起工,1909年完成。日本初の本格的な洋風宮殿建築であり,室内は大理石,裂地(きれじ)張りで飾られている。1968年―1974年改修,以後迎賓館となる。2009年国宝に指定。
→関連項目赤坂園遊会

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世界大百科事典 第2版の解説

あかさかりきゅう【赤坂離宮】

皇室のかつての離宮,東宮御所で,現在は迎賓館。東京都港区元赤坂にある。
[沿革]
 同地はもと紀州藩の屋敷の所在地で,1872年(明治5)2月邸宅および敷地約31万2600坪(約103万1580m2)を旧藩主徳川茂承が献納し,翌3月離宮と定め,赤坂離宮と命名され英照皇太后の御所に供された。ところが73年5月皇城が焼失し,ここに天皇・皇后が移り,皇太后は隣接の青山御所に移り,以来89年1月再営した新宮殿に天皇・皇后が移るまで仮皇居として用いられた。

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大辞林 第三版の解説

あかさかりきゅう【赤坂離宮】

赤坂にある旧離宮。もと、紀州藩中屋敷。1872年(明治5)離宮となり、1909年洋式建築の宮殿が竣工。23年(大正12)東宮御所。第二次大戦後は、国会図書館などに用い、改装後、74年(昭和49)から迎賓館となった。

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精選版 日本国語大辞典の解説

あかさか‐りきゅう【赤坂離宮】

明治五年(一八七二)東京赤坂の紀州徳川家上屋敷跡に設けられた離宮。のちに東宮御所。明治四二年、ネオ‐バロック様式をとどめる石造建築として築造された。昭和二三年(一九四八)、国会図書館がおかれ、昭和四二年迎賓館赤坂離宮と改称。

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世界大百科事典内の赤坂離宮の言及

【近代建築】より

…これらの資材の国産化は直接建築の西欧化を目標とするものではないが,のちの近代建築成立期の技術的背景を形成した。明治時代の主要な建築として,上野博物館(1881,コンドル),三菱一号館(1894,コンドル),東京裁判所(1896,エンデ,ベックマン,ハルトゥング),日本銀行本店(1896,辰野金吾),横浜正金銀行(1904,妻木頼黄(よりなか)),赤坂離宮(1909,片山東熊)などが挙げられる。明治における西欧風様式建築導入に見られる著しい特色は,西欧の建築体系をその全体でなく,日本が必要としていた側面においてのみ積極的導入がはかられたことである。…

【ネオ・バロック様式】より

…ブリュッセルの高等裁判所(1866‐83),ウィーンの王立劇場(1874‐88),ベルリンの帝国議事堂(1884‐94)などはその代表作として著名である。日本でも,明治10年代から第二帝政式の影響が顕著に現れ,赤坂離宮(現,迎賓館,1909)でほぼ完全なネオ・バロック様式を実現している。【桐敷 真次郎】。…

※「赤坂離宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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