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逍遙学派 しょうようがくはperipatētikoi

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

逍遙学派
しょうようがくは
peripatētikoi

ペリパトス学派ともいい広義のアリストテレス学派の初期の段階を形成する。ペリパトスとは「木陰の遊歩道」を意味するギリシア語で,この派の名称は前 335年にアリストテレスがリュケイオンにあるペリパトスで教えはじめたことに由来する。アリストテレスの直接の後継者で『植物誌』や『植物原因論』を著わし植物学の祖と呼ばれたテオフラストスもロードスのエウデモスも師の教説になんらかの基本的修正を加えることはできず,むしろ個々の部門の専門家となる傾向をみせた。これは前期のペリパトス派一般にいえることであって,形而上学的思索に代って経験科学的方法が盛んとなり,経験的領域,特に自然学において師の体系を発展させようとする試みがなされるようになった。第3代の学頭である自然学者ストラトンはその代表的な人である。こうしてリュケイオンが専門学的探究の場となったことは,一方で西欧諸学の端緒を形成するという意義をになったが,それは同時に一つの哲学学校の事実上の解体をも意味していた。ギリシア文化史である『ギリシアの生活』を書いたディカイアルコスや,音楽理論家アリストクセノスはアリストテレスの形而上学的な基本原理を放棄し霊魂の不滅説を否定,またクリトラオスは世界と人類との永遠を説いた。後期のペリパトス学徒はおおかたはアリストテレスの諸著作の解釈と注釈に従事し多くの注釈書を著わした。アリストテレスの諸著作の完全な校訂版を出したロードスのアンドロニコスはその最初の人であり,また,後世への影響力の最も大きかった人はアフロディシアスのアレクサンドロスである。新プラトン学派成立以後はアリストテレス注釈の主流はこの派に移ったが,ポルフュリオス,ヤムブリコス,シンプリキオスらの注釈は著名である。

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逍遙学派
しょうようがくは

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