日本歴史地名大系 「道谷村」の解説 道谷村みちたにむら 島根県:美濃郡匹見町道谷村[現在地名]匹見町落合(おちあい)匹見川の支流、落合川流域に位置し、道谷上・道谷下の二集落からなる。もとは北に位置する矢尾(やお)村・蔦木(つたぎ)村も含んだ。元和五年(一六一九)の古田領郷帳に村名がみえ、高一五五石余、年貢高は田方三七石余・畑方一九石余。のち矢尾村・蔦木村を分村し、正保四年(一六四七)の古田領郷帳では高五一石余、有高五〇石余で免三ツ七分余。天保八年(一八三七)浜田藩主松平斉厚によって備荒貯蓄の制度が立てられ、当村の郷蔵も利用された。 道谷村どうだにむら 兵庫県:宍粟郡波賀町道谷村[現在地名]波賀町道谷引原(ひきはら)川の最上流域に位置し、西は戸倉(とぐら)村。領主の変遷は谷(たに)村と同じ。正保郷帳に村名がみえ、田方四石余・畠方三二石余。下村氏手控帳(下村家文書)では、寛文―延宝(一六六一―八一)の家数などは戸倉村に含まれている。 道谷村どうやつむら 千葉県:袖ケ浦市道谷村[現在地名]袖ケ浦市大曾根(おぞね)小櫃(おびつ)川右岸、浮戸(うきと)川流域に位置する小曾根(おぞね)村の枝郷で、同村の北方にある。元禄郷帳に堂谷村とみえ、高四八石余。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では堀内(ほりのうち)村とともに大曾根村(小曾根村)に含まれている。文政一二年(一八二九)の年貢皆済目録(高石家文書)では大曾根村と併記されて一冊となっており、天保郷帳にも「古は堂谷村、小曾根村枝郷」の注記がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by