日本歴史地名大系 「郡家庄」の解説
郡家庄
ぐんけのしよう
現
仁安三年(一一六八)の無量寿院相折米月宛支配注文案(安楽寿院古文書)に「郡家庄」とみえ、
板津氏は鎮守府将軍藤原利仁を祖と主張する加賀斎藤系武士団林氏の庶流で(尊卑分脈)、板津介成景は国衙在庁である介の地位を利用しながら、国衙周辺に
宝治元年(一二四七)一一月当庄に関する院宣を所持していると主張する山門衆徒から狼藉を受けたため、勧修寺から後嵯峨院へ訴えが起こされ、一二月一日とりあえず山門衆徒の狼藉停止が命じられている(「経俊卿記」一一月一三日・一四日・二九日・三〇日、一二月一日条)。
郡家庄
ぐんげのしよう
篠山盆地の中央部、篠山川支流の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報