日本歴史地名大系 「郡山宿」の解説
郡山宿
こおりやましゆく
江戸時代の西国街道(山崎通)の宿駅。
郡山宿
こおりやましゆく
奥州道中(近世前期には仙台・松前道ともいう)の宿駅。中世末には交通・経済上の要衝の地で、天正一六年(一五八八)伊達政宗から当地の商人山本伊勢守が奥筋通行について一〇匹・一〇駄を免許されている(同年七月二〇日「伊達政宗過書」鹿野文書)。奥州道中は阿武隈川沿いであったが、慶長年間(一五九六―一六一五)西寄りに改修整備され当地に宿駅が置かれた。元和年中(一六一五―二四)に町割が実施され、これに携わった今泉家は功により以降代々名主職を勤めた。会津領時代は町並も短かったが、寛永二〇年(一六四三)二本松藩領となってから人口も漸増、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報