中国、清(しん)代中期の書家。安徽(あんき)省懐寧の人。初名は琰(えん)、石如と字(あざな)していたが、のちに石如を名として字を頑伯と改め、故郷にそびえる皖公山(かんこうざん)の皖の字を二分して完白山人と号した。家は貧しく、ほとんど独学で勉強し、生涯仕官することなく、各地を遊歴しながら書と印とを売って暮らした。その書は、30代の8年間、江寧(南京(ナンキン))の梅鏐(ばいりゅう)の家に寄寓(きぐう)し、日夜を尽くして古碑帖(じょう)を研究したことによって基礎を定めた。各体をよくしたが、ことに彼が復興した篆隷(てんれい)は清朝第一と称せられ、豪毅渾厚(ごうきこんこう)で風韻が高い。篆刻も漢印の精神を再生して新しい雄渾な刻風を樹立し、近代篆刻の大宗と仰がれ、弟子の包世臣(ほうせいしん)らにより碑学派の祖とされて後世に多大な影響を与えた。作品集に『完白山人篆刻偶存』『鄧完白法書選集』などがある。
[筒井茂徳]
『中田勇次郎編『書道芸術10 鄧石如他』(1972・中央公論社)』▽『『書跡名品叢刊165 白氏草堂記』(1971・二玄社)』▽『『書跡名品叢刊196・197 敖陶孫詩評』(1975・二玄社)』
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… 考証学の一環として金石学が勃興すると,金石文を単に学問の対象としてだけではなく,書作にもそれを応用するという動きが生じ,篆隷や金文に新生面が開かれることになった。学者では銭大昕(せんだいきん),桂馥(けいふく),銭坫(せんてん)らが金石文を応用した書を書き,書家では鄧石如(とうせきじよ),伊秉綬(いへいじゆ),陳鴻寿(ちんこうじゆ)らが出て,碑学派に先鞭をつけた。これを碑学前期とよぶ。…
…この石章独特の美を開いた刻風は後世に大きな影響を及ぼしている。〈鄧派〉の鄧石如は清朝第一と評された書法上の造詣により,その刻印は剛勁渾朴,豊満円潤で一派を創始し,その弟子の呉廷颺(ごていよう)(熙載)は碑版の源流に対して深く研究し,それに見られる刀法を刻印にまじえて流麗優雅な篆刻の新天地を開いて,印壇の老化現象を改めた。 清代後期,各派それぞれがマンネリ化したとき,趙之謙が出て,鄧派・浙派を兼ねて学ぶとともに,篆刻の領域を秦・漢・六朝の諸文字資料にまで広げた。…
※「鄧石如」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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