鄭家屯事件(読み)ていかとんじけん

改訂新版 世界大百科事典 「鄭家屯事件」の意味・わかりやすい解説

鄭家屯事件 (ていかとんじけん)

1916年8月13日中国遼寧省鄭家屯でおきた日中両軍の衝突事件。発端は売薬業店員(日本人)と中国兵とのささいな口論であるが,駐屯日本軍(1914年8月より駐在)が干与したため日中両軍の衝突となり,日本側14名(うち巡査1),中国側4名の戦死者を出した。中村覚関東都督は増援部隊(騎兵2中隊,歩兵1大隊)を派遣し鄭家屯を占領,四平街~鄭家屯間の中国軍の撤退を要求,かつ両地間に軍用電線を架設した。大隈重信内閣は9月2日林権助公使をして中国軍第28師団長の懲戒,南満州・東部内蒙古の必要な地点への警察官の駐在などを中国側に要求させた。同時に中国士官学校への日本将校の傭聘ようへい),奉天督軍の謝罪などを希望条項として提出,日中間の懸案となった。寺内正毅内閣に入って交渉は続き,翌17年1月22日,第28師団長の戒告等5条件を中国側が承認し,ようやく解決をみた。しかし士官学校への日本人教官の傭聘,日本警察官の増駐などは拒否された。鄭家屯には事件勃発時百数十人の日本人居留者がいた。日本がこの事件を機会に南満州・東部内蒙古への勢力拡大を図るのではないかと危惧をもたれた事件であった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鄭家屯事件」の意味・わかりやすい解説

鄭家屯事件
ていかとんじけん

中国東北で起きた日中両軍の紛争。1916年(大正5)8月、奉天(ほうてん)省鄭家屯(現吉林(きつりん)省双遼(そうりょう))で、日本人商人と中国人とのいさかいに端を発して双方の部隊が衝突、日本側7名、中国側4名の死者を出した。おりから日本側の一部は、蒙古(もうこ)のパプチャップらを利用して第二次満蒙(まんもう)独立運動を企てており、日本軍はこの事件を口実に中国側の奉天軍第28師団を撤退させて鄭家屯を占領した。大隈重信(おおくましげのぶ)内閣もこれをとらえ、中国軍や中国士官学校への日本人顧問の招聘(しょうへい)、日本人警官の配置など、東北権益強化のため包括的な要求を出した。しかし翌年1月の交換公文で、要求のうち第28師団長の罷免、責任者の処罰、奉天督軍の陳謝などをのませて外交上の決着をみた。

[岡部牧夫]

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