日本歴史地名大系 「野中兼山邸跡」の解説
野中兼山邸跡
のなかけんざんていあと
高知城郭内にあり、東の内堀に沿う。
兼山は良継・伝右衛門・主計・伯耆などとも称した。元和元年(一六一五)山内一豊の妹合姫(慈仙院)の子野中良明と秋田氏の娘万の子として播磨国姫路で生れた。父良明没後、分家で土佐藩家老野中直継の養子となり、一七歳の寛永八年(一六三一)奉行職となった。以後、失脚する寛文三年(一六六三)までの約三〇年間、藩政の中心となり、強力に政策を展開した。
その一つに新田開発の基となる用水路建設がある。建設されたおもな用水・堰には香美郡
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報