や‐すい【野水】
[1] 〘名〙
※本朝無題詩(1162‐64頃)七・田家春望〈釈蓮禅〉「山花遠色雪千点、野水廻流煙四繊」 〔李群玉‐寄友〕
② 野中を流れる川の水。
※六如庵詩鈔‐二編(1797)六・秋末野歩偶過嶬峨帝陵下窃述鄙感「我酌二野水一薦二寒菊一、緬憶翠華遊幸時」
[2] 江戸前期の
俳人。名古屋の人。岡田氏。名は行胤(幸胤)。通称佐次右衛門。屋号備前屋。清洲越の
名家で、呉服店主人。はじめ貞門、のち
蕉門に帰す。「冬の日」に一座し世に知られたが、
晩年は
茶道に専心し
俳諧から離れた。明暦四~寛保三年(
一六五八‐一七四三)
の‐みず ‥みづ【野水】
〘名〙 野にある水。野にある川。
※
妻木(1904‐06)〈
松瀬青々〉春「雉二つ野水をわけて鳴にけり」
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野水 (やすい)
生没年:1658-1743(万治1-寛保3)
江戸前期の俳人。本名は岡田幸胤(または行胤とも)。通称は佐次右衛門。別号は宜斎(茶道名),転幽(隠居名)。名古屋の生れ。家は代々目見(めみえ)町人の待遇を受ける旧家であった。呉服商を営み,俳諧ははじめ貞門派の横船,流水らに学んだ。1684年(貞享1)冬,《野ざらし紀行》の旅の途中の芭蕉を迎え,荷兮(かけい),杜国らとともに成した《冬の日》が高く評価され,芭蕉門下の有力俳人となった。その後,《春の日》(1686),《曠野(あらの)》(1689),《猿蓑(さるみの)》(1691)など,蕉門の代表的な選集に句が入集し,俳人としての地位を確かなものにした。しかし,家業や町の役職の多忙,あるいは茶道への熱心さから,しだいに俳諧を離れ,1694年(元禄7)に芭蕉が没してからは,俳諧から遠ざかってしまった。〈松明(たいまつ)に山吹うすし夜の色〉(《阿羅野》)。
執筆者:山下 一海
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普及版 字通
「野水」の読み・字形・画数・意味
【野水】やすい
野を流れる川。宋・寇準〔春日楼に登りて帰るを思ふ〕詩 野水、人の渡る無し 舟、盡日たふ字通「野」の項目を見る。
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