ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「寇準」の意味・わかりやすい解説
寇準
こうじゅん
Kou Zhun; K`ou Chun
[没]天聖1(1023)
中国,北宋初期の政治家,詩人。華州下哨 (かけい。陝西省) の人。字は平仲。諡は忠愍 (ちゅうびん) 。太平興国4 (979) 年進士に及第。大理評事,枢密院直学士,塩鉄判官などを歴任,太宗から深く信任されたが,あまりにも剛直であったため,地方に左遷された。真宗が即位すると中央に帰り,景徳1 (1004) 年宰相となり,契丹の侵入に対して功績を上げた。のち莱国 (らいこく) 公に封じられたので,寇莱公とも呼ばれる。しかし再び左遷され,衡州 (湖南省) の司馬として没した。名宰相として評判が高かったが,詩人としては当時の高官の間で流行した西崑体 (李商隠の詩風) とはやや異なった詩風をもち,王維,韋応物,孟郊らの影響を受け,自然の哀愁をこまやかに歌った詩が多い。ただ,宰相の詩としては感傷的にすぎるとの評があった。詩集『寇忠愍公詩集』。
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