改訂新版 世界大百科事典 「野田醬油争議」の意味・わかりやすい解説
野田醬油争議 (のだしょうゆそうぎ)
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第2次大戦前の日本最長の争議。千葉県野田醤油の総同盟関東醸造労働組合野田支部は,1921年(大正10)発足後,22・23・25年と争議を闘い成果をあげた。27年(昭和2)4月には会社に賃上げなどを要求。9月16日組合員1430人がストライキを決定。会社側の暴力団を使った攻撃,争議団員の解雇,スト破りに対して,児童盟休・醤油不買・天皇直訴まで行われた。28年4月,組合の惨敗で終了。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…企業や国営事業で経営家族主義がとられ,争議を弾圧する一方で福利施設の充実によって従業員の忠誠度を高める政策が始められた。第1次大戦後にも労働争議の大きな波が起こり,とくに1921年の神戸の川崎・三菱神戸造船所争議は空前の規模で行われたが,軍隊の出動で鎮圧され,その後も26年の浜松の日本楽器争議,27年の野田醬油争議などの大規模争議が起きたものの,官憲の介入は激しさを加え,37年には総同盟が〈同盟罷業の絶滅を期す〉と宣言するにいたった。 第2次大戦後,占領軍の民主化政策に従って労働争議を非合法化していた法規や政策が撤廃され,45年の労働組合法,翌年の労働関係調整法の制定によって労働組合の争議権が初めて合法化され,調停・仲裁などの制度や機関も整備された。…
※「野田醬油争議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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