金剛宝戒寺(読み)こんごうほうかいじ

日本歴史地名大系 「金剛宝戒寺」の解説

金剛宝戒寺
こんごうほうかいじ

[現在地名]大分市上野丘二丁目

弥栄やさか神社の北方にある高野山真言宗の寺。清滝山と号し本尊大日如来。神亀四年(七二七)行基が勅により荏隈えのくま五丁津留ごちようづる伽藍建立、釈迦像一体を安置して金剛宝戒寺と号した。長和年間(一〇一二―一七)再営して定朝作大日如来を安置、永久年間(一一一三―一八)には雲慶作金剛二像を安置した。扁額は聖武天皇筆とも、藤原行成筆とも伝える。寺境三〇〇歩、僧房六〇区を有したという(豊後国志・雉城雑誌)。「大友家文書録」の嘉暦二年(一三二七)三月の綱文によると、大友貞宗が当寺を建立したとされる。「豊後国志」は元弘年間(一三三一―三四)貞宗が現在地に移して西大寺幸尊律師を中興とし再興したと伝え、「雉城雑誌」は徳治年間(一三〇六―〇八)貞宗が水害を避けて台地上に移し、四方に大門、境内に八坊を設けたとする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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