日本歴史地名大系 「金子村」の解説
金子村
かねこむら
- 東京都:調布市
- 金子村
金子村
かねこむら
東は
弘安六年(一二八三)七月二三日の将軍源惟康家政所安堵下文(県史二)に「可令早前隠岐守藤原行景領知相模国大井庄内金子郷信濃次郎左衛門尉行氏跡事」とあり、かつて二階堂行氏が知行していた金子郷をその子行景が領知すべきことを令している。なお鎌倉末と推定される二階堂氏の年欠所領目録(県史一)に「大井庄内金子郷御下文」がみえる。鎌倉末から室町初めと思われる天龍寺寺領目録(県史二・三)に「成田庄付金子村」とみえ、小田原衆所領役帳に安藤源左衛門「五拾七貫八百拾七文 西郡金子内」、西原善右衛門「三百八拾壱貫六百文 金子郷寄子給」と記す。永禄九年(一五六六)二月二一日と四月二〇日の北条綱成判物(県史三)に「金子之郷之内西明寺領五貫六百五十文之所」「於金子、為神田与、三貫文之分」とあり、村内
金子村
かねこむら
- 愛媛県:新居浜市
- 金子村
新居浜平野の中央を北流する
弘安五年(一二八二)七月一六日付の将軍家政所下文(金子家美氏蔵)によれば、武蔵国入間郡金子村に本拠をもつ金子頼広が新居郷地頭職を安堵されている。
金子村
かなごむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報