金昌寺(読み)きんしようじ

日本歴史地名大系 「金昌寺」の解説

金昌寺
きんしようじ

[現在地名]大山町亀谷

亀谷かめがいの西部にあり、亀谷山と号し、曹洞宗本尊釈迦如来。明治一九年(一八八六)時の住職が本寺金龍きんりゆう(現岐阜県神岡町)に提出した文書(金龍寺蔵)によると、金昌寺の開基は「慶長十一年茂住坑城主宗貞公鉱山開拓ノ為メ、当所ヘ引籠ノ時、金山繁昌ノ祈願所ニ建立サル」と述べ、金龍寺二世比庵良荻を招いて開山にしたとある。茂住宗貞は飛騨国主金森長近に仕え、金山奉行として金山・銀山を発見、六分・四分で領主と配分する約束がしだいに対立し、身に危険を感じ亀谷に逃れ、慶長一三年(一六〇八)越前に帰ったといわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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