金比羅山
こんぴらさん
無凡山・袴山・瓊杵山ともいう。一日に七ヵ所の山をめぐる七高山めぐりの一山で、その山麓に七ッ谷があるという。山頂部に金刀比羅神社が鎮座する。万治元年(一六五八)福済寺の木庵が山頂からの眺望を賞し、無凡山と命名し、巨石に山名を刻んだという。弘化元年(一八四四)油屋町乙名定次郎借家の長之助は亡父の後を継いで古道具商売を行っていたが、父の生前に「金毘羅山」に病気平癒の祈願をしたところ効験があったため童を集めて手踊を奉納したところこれが不埒として、その折に座敷を貸したという別当の新義真言宗神宮寺らとともに吟味を受けた。また山の往来筋では博奕も行われていた(口書集)。毎年二月から四月八日まで長崎市中ではハタ揚げ(鳳巾を放つ)が行われるが、好天の日和に当山や風頭山・茶臼嶽などに弁当を持参してこれを楽しむという。
金比羅山
こんぴらさん
現戸畑区の南東端部にそびえる円錐状の山で、標高一二六・二メートル。山域は同区から小倉北区・八幡東区にまたがる。東麓には金比羅池(小倉北区)がある。江戸時代には一般に堂ヶ峰とよばれていた(「続風土記拾遺」など)。金比羅の山名は頂上付近に祀られる金比羅神社に由来。同社は元文三年(一七三八)に中原村鞘ヶ谷の久保氏が讃岐国金刀比羅宮の分霊を勧請したものという(遠賀郡誌)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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