中国の漢代の皇帝と高級貴族が葬られるとき,すっぽりと全身を包んだ葬服で,全部が薄い玉片(4.5cm×3.5cm~1.5cm×1cm)からなり,玉片の四隅に小孔をあけて,針金状の金の撚糸で綴り合わせてある。1968年,河北省の満城漢墓で,棺内から発見された中山靖王夫妻のものが有名である。靖王劉勝の玉衣は,2498枚の玉片を約1100gの金の撚糸で綴ったもので,全長が1.88mになり,頭部(前,後),胴衣(前,後),左右の腕と手,左右の脚と足の部分に分けてつくられている。妻,竇綰(とうわん)の玉衣は玉片の数,金の撚糸ともにわずかに少ない。これ以外にも約10個の玉衣が出土していて,それには金縷だけでなく,銀縷,銅縷,金銅縷のものがある。文献によると,玉衣の前身である鱗施(りんし)というものは戦国時代末期にあったが,漢代になると,玉衣を用いれば遺体を保存することができるという迷信が生まれ,それ以降使われるようになった。玉匣(ぎよくこう),玉柙(ぎよくこう)ともいわれた。前漢時代には,まだ身分による差が確定していないようで,金縷玉衣が皇帝だけでなく,諸侯王でも使用していたことは中山靖王の例でわかる。後漢時代になると金縷は皇帝に限られ,諸侯王,初代の列侯,貴人,公主は銀縷,その他の貴族である大貴人,長公主は銅縷と定められていたことが《後漢書》礼儀志にみえる。魏時代になると,文帝が薄葬令を出して玉衣の使用を禁じたので,魏・晋時代以後には玉衣は見られなくなった。
執筆者:杉本 憲司
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…この食玉の風習も玉の呪力を体内にとりこみ止めるという呪術に由来し,その後に長寿延命を保つ法として受け継がれたと見られる。また,死者の口に含ませる〈含玉〉や手に握らせる〈握〉など副葬の玉器〈葬玉〉,玉片を金糸銀糸で綴って死者に着せた〈金縷(きんる)玉衣〉〈銀縷玉衣〉なども,もとはやはり玉に生成力,再生力をみとめ死者の復活を願ったのが起源であろう。葬玉の風習は六朝以降廃れるが,南中国の一部の地方では近年まで死者の口に翡翠(ひすい)(硬玉)をはませていた。…
…死者が生前に身につけていた装身具をそのままつけて葬るほか,特別に衣装,装身具をつくることもある。古代中国の金縷玉衣(きんるぎよくい)はその衣装,葬玉(そうぎよく)は死者用の玉(ぎよく)である。鹿児島県種子島の弥生時代の墓地,広田遺跡で出土した貝製の装身具には,生前着用のものと埋葬用のものとが区別できる。…
…中国,河北省満城県城南西3kmの陵山上にある中山靖王劉勝(1号墓)と夫人竇綰(とうわん)(2号墓)の墓。1968年に発掘調査された。石灰岩の岩壁をくり抜いて築いた大規模な洞室墓で,1号墓は墓道,甬道(ようどう),南北耳室,中室,後室からなり,全長51.7mある。甬道と南耳室は馬車庫,北耳室は食・飲料庫,中室は中央に鍍金帷帳を置いた庁堂で,多数の器物が並べられていた。後室は石門で区画され,内部に板石で石屋を築き,北端に棺床を設ける。…
※「金縷玉衣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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