鈴木清風(読み)すずき・せいふう

朝日日本歴史人物事典 「鈴木清風」の解説

鈴木清風

没年享保6.1.12(1721.2.8)
生年:正保3(1646)
江戸前期の俳人出羽国村山郡(山形県)尾花沢の人。紅花を扱う商人で尾花沢の豪商として知られた。職業俳人ではなかったが,みずから選集を編むほどの俳諧好きで,商用で旅行することも多かった関係で,江戸,大坂,京都の俳人との交流も密だった。松尾芭蕉とも江戸で知り合い,元禄2(1689)年に『おくのほそ道』の旅でその世話になった芭蕉は,「かれは富めるものなれど,志いやしからず」と同書に記している。しかし晩年は次第に俳諧から遠ざかった。<参考文献>星川茂平治『尾花沢の俳人鈴木清風』

(田中善信)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鈴木清風」の解説

鈴木清風 すずき-せいふう

1651-1721 江戸時代前期の俳人。
慶安4年生まれ。出羽(でわ)尾花沢(山形県)の紅花(べにばな)問屋。江戸や京坂を往来し,俳人とまじわる。はじめ談林派,のち芭蕉(ばしょう)門にまなぶ。芭蕉を家にとめて歓待したことが「おくのほそ道」にみえる。享保(きょうほう)6年1月12日死去。71歳。名は道祐。通称は島田屋八右衛門。別号に残月軒。編著に「おくれ双六(すごろく)」「稲莚(いなむしろ)」など。

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