20世紀日本人名事典 「鈴木音高」の解説
鈴木 音高
スズキ オトタカ
明治期の民権運動家,実業家
- 生年
- 文久2年7月8日(1862年)
- 没年
- 大正13(1924)年2月28日
- 出生地
- 駿河国庵原郡辻村(静岡県静岡市)
- 旧姓(旧名)
- 山岡
- 経歴
- 幕臣の山岡家に生まれ、明治5年鈴木家の養子となる。静岡学問所付属小学校や東京の中江兆民の仏学塾に学んだのち、静岡で小学校教員などを務めた。のち政治活動に興味を抱き、15年に静岡で結成された岳南自由党に入って自由民権運動に加わる。16年には代言人(弁護士)免許を取得し、静岡で開業。このあとも演説を中心とした政治活動を続けるが、同年10月に1年間の演説禁止を命ぜられた。これを機に実力行使による改革を志すようになり、政府転覆・大臣謀殺などを画策、各地の民権家グループと連絡を取りつつ、資金調達のために強盗を行うなど暗躍。しかし、19年に事件が発覚し逮捕(静岡事件)、強盗罪により有期徒刑14年の刑に処された。30年7月に特赦で出獄したのちアメリカに渡り、東洋貿易会社を設立して鉄道請負事業などに従事。33年現地の労働力不足を打開するため、不法に日本人労働者を移植し、いわゆるアメリカ移民事件を起こした。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報