1886年6月,静岡県の自由党員による政府転覆計画が発覚し,100余名が逮捕された事件。自由民権運動激化事件の最後に位置する。1883-84年,松方デフレ政策によって農村は窮乏化し,静岡県下でも借金党を中心とする農民騒擾(そうじよう)が頻発した。こうしたなかで,1882年結成の岳南自由党(静岡中心),遠陽自由党(浜松中心)の党員たちはしだいに急進的傾向を強め,挙兵による政府転覆を計画。他地方の激化事件関係者らと連動して一斉蜂起を策したともいわれる。しかし実際には各地での個別的蜂起に終わったため暗殺主義へと転じ,84年1月ごろからは軍資金を得るために頻繁に強盗を繰り返した。その数は50回を超えたが,強奪額は500円程度であったという。85年にはいるとしばしば上京して政府高官暗殺の機をうかがった。86年7月に箱根離宮落成祝賀式が華族会館で挙行されるとの情報を得ると,これを襲撃して臨席する高官を殺害することを計画。しかしその準備中の6月12日から警察による一斉検挙が始まり,東京と静岡で百数十名が逮捕された。87年7月,26名が東京重罪裁判所の裁判に付され,湊省太郎,鈴木辰三ら4名の有期徒刑15年,中野二郎三郎,鈴木音高の有期徒刑14年以下,25名に有罪の判決が下された。罪状は強盗罪であった。内乱罪,外患罪などの国事犯が国民から英雄視される当時の状況にかんがみて,内乱罪の適用を回避し,常事犯として処断したのである。
→自由民権
執筆者:大日方 純夫
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1886年(明治19)6月、旧自由党員その他による政府転覆計画が発覚し、静岡を中心に東京、愛知、岐阜などの府県で一斉検挙が行われた事件。自由民権運動の最後の激化事件といわれ、湊省太郎(みなとしょうたろう)、鈴木音高(おとたか)らの静岡グループ、中野二郎三郎(じろさぶろう)らの浜松グループ、広瀬重雄(しげお)、小池勇(いさむ)らの愛知・岐阜グループによって計画された。彼らは84年には、松方デフレ政策の進行による農村の窮乏の深化と困民(こんみん)党・借金党の蜂起(ほうき)、小作騒擾(そうじょう)の頻発など騒然とした不穏の状況のなかで、全国的武装蜂起による政府転覆を目ざし、加波山(かばさん)、飯田(いいだ)、名古屋事件の同志その他と連絡し、また軍資金獲得と同志の結束強化のための強盗を行った。しかし、全国的一斉蜂起の願望は結局実現せず、他の激化事件は各個的に鎮圧されたり未然に発覚して、同志は検挙された。静岡事件の同志は挙兵方針に見切りをつけ、85年以降は政府高官暗殺の方針に転換し、おもな同志は上京して東京で首相伊藤博文(ひろぶみ)その他の大臣暗殺の準備を進めたが、密偵によって計画は露顕し逮捕された。政府は、この事件の国事犯的要素をすべて抹殺し、純然たる強盗罪として処刑した。87年7月、被告25名が有期徒刑15年以下の刑に処せられ、このうち重罪の者はやがて北海道に送られ刑に服した。
[原口 清]
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1886年(明治19)に発覚した静岡県の旧自由党党員を中心とした政府大官暗殺計画事件。急進派自由民権運動家による一連の政府転覆計画事件の最後をなす。政府打倒の武装蜂起計画を立て,軍資金獲得のため静岡県内各地で強盗などを働いたが,やがて大臣暗殺に計画を変更,86年7月,箱根離宮落成式の際に実行しようとしたが,準備中に一斉検挙された。捕縛者は100人余に及び,うち中心となった25人が有期徒刑に処せられた。
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