寛永一四年(一六三七)萩藩は幕命により美祢郡
鋳造事業は一ヵ年の更新契約であったが、幕府は寛永一七年、新銭過剰のため諸藩に鋳造停止を命じた(毛利氏四代実録)。しかし銭貨鋳造は利益が多いため、停止令後も藩の黙認のもとに私鋳が続けられた。当地で鋳造されたいわゆる銭屋銭は、白銅色で文字に特色があり、判別は容易であるという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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