長明寺(読み)ちようめいじ

日本歴史地名大系 「長明寺」の解説

長明寺
ちようめいじ

[現在地名]西脇市高松町

高松たかまつ町の北西部にある。高松山と号し、高野山真言宗。本尊十一面観音。寺記(播磨鑑)によると、白雉年間(六五〇―六五四)に法道が開基したと伝える。かつては現在地よりも東方にあり、坊舎が軒を並べたが、嘉吉の乱の際に焼失したので、寺地を現在地に移したという。天正一一年(一五八三)一〇月一〇日、羽柴秀吉の家臣小堀正次は当寺の行事坊に対して寺領三七石を寄進し(「小堀新介書状」長明寺文書)、慶長一五年(一六一〇)に中村正勝は寺領三町五反余を寄進している(「中村主殿助寄進状」同文書)


長明寺
ちようみようじ

[現在地名]与板町与板 横町

市街地南側のよこ町にある。浄土真宗本願寺派、大岩山と号し、本尊阿弥陀如来。創建は永禄四年(一五六一)と伝える。寺蔵の絵本尊裏書には、天正元年(一五七三)「八月□日、□□□門徒普願寺下□□郡須田村、願主釈祐通」とあるので、もとは信州須田すだ(現長野県須坂市)にあったと思われる。慶長八年(一六〇三)の蓮如絵像裏書には「六月十□日、越後国三嶋郡与板町長明寺住物」とある。


長明寺
ちようみようじ

[現在地名]久美浜町 土居

久美谷くみだに川河口に沿い、北側(裏)久美浜湾が広がる通称土居どいにある。山号は林光山、浄土真宗本願寺派。

もとは字しまにあり、松嶺しようれい院とよんだ。伝承によれば、毎夜山中から光を出すので掘ると一寸八分の黄金仏が現れた。そこでこれを胎内仏として本尊阿弥陀如来像をつくって安置し、林光山長明寺と改めたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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