日本歴史地名大系 「長曾郷」の解説
長曾
郷
ながそねごう
正平年間(一三四六―七〇)金太郷惣判官代職とともに長曾禰郡司職をめぐる相論が生じている。同七年一二月、和泉御家人和田蔵人助氏が父助康より譲与された「河内国金太郷惣判官代職長曾禰郡司職等」を国宣により安堵されていたところ、同年一〇月一三日の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
郷正平年間(一三四六―七〇)金太郷惣判官代職とともに長曾禰郡司職をめぐる相論が生じている。同七年一二月、和泉御家人和田蔵人助氏が父助康より譲与された「河内国金太郷惣判官代職長曾禰郡司職等」を国宣により安堵されていたところ、同年一〇月一三日の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...