長楽山廃寺跡(読み)ちようらくざんはいじあと

日本歴史地名大系 「長楽山廃寺跡」の解説

長楽山廃寺跡
ちようらくざんはいじあと

[現在地名]上野市西明寺 長楽山

伊賀国分寺の東約二〇〇メートルにある寺域一町四方の寺院跡。伊賀国分寺(僧寺)との位置関係から国分尼寺(法華滅罪之寺)と推定され、地名により長楽山廃寺跡という。国指定史跡。寺域の西部に偏在して、金堂講堂跡の土壇が東北に約一一度振った中軸線上に並んで遺存する。塔跡・中門跡などは確認されない。金堂跡の土壇上に残る礎石の掘取穴の配置から、桁行七間、梁行四間の建物が推定される。講堂跡には礎石や礎石の抜取穴はみられない。出土遺物は知られていない。

保安三年(一一二二)一二月の伊賀国符(中村雅真氏蔵)灯油の代として米一石六斗を国分二ヵ寺(僧寺・尼寺)に与えよとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「長楽山廃寺跡」の解説

ちょうらくさんはいじあと【長楽山廃寺跡】


三重県伊賀市西明寺にある寺院跡。伊賀市街地の東方、名阪国道南の山林内にある伊賀国分寺跡東側に位置し、国分尼寺跡と考えられている。丘陵のすそ野を利用して造営され、金堂や講堂と想定される基壇跡が南北に並んでいる。国分寺跡と同様に築地跡と見られる方形土塁があるが、西側と南側は2重に囲まれていたらしい。1923年(大正12)に国の史跡に指定された。伊賀鉄道伊賀線上野市駅から三重交通バス「文化会館口」下車、徒歩約5分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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