日本歴史地名大系 「長田西郷・長田市庭」の解説
長田西郷・長田市庭
ながたにしごう・ながたいちば
〔長田西郷〕
文永八年(一二七一)一一月日の杵築大社三月会相撲舞頭役結番帳に「長田西郷四十七丁五反長田四郎兵衛尉」とみえる。成立の経過は長田東郷と同じ。前記の長田四郎兵衛尉(昌元)の死去に伴い永仁七年(一二九九)二月一一日に息子の長田余一昌重(法名昌遍)は、遺領として長田西村のうちの
鎌倉幕府の滅亡とともに没落したと推定される長田氏に代わって南北朝期・室町期には複数の領主に分割して知行されたようである。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報