長谷川宗右衛門(読み)はせがわ・そうえもん

朝日日本歴史人物事典 「長谷川宗右衛門」の解説

長谷川宗右衛門

没年:明治3.9.25(1870.10.19)
生年:享和3.12.14(1804.1.26)
幕末高松藩(香川県)藩士。父は松崎裕民。高松の松平家は水戸徳川家から分かれた家だが,前水戸藩主徳川斉昭の政治姿勢には批判的だった。そのような藩中にあって斉昭に賛同,安政4(1857)年屏居を命ぜられる。翌年脱藩して京から水戸へ赴くが,追われて自首,江戸伝馬町の獄に送られる。「玉となりて砕くるとも,瓦となりて全かるなかれ」と独語していたとは,同獄の吉田松陰の証言。翌6年高松の獄に移され,文久2(1862)年放免。明治3(1870)年病を重くし,生前に皇居を拝そうと渡海を試みるが,船中に没した。

(井上勲)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長谷川宗右衛門」の解説

長谷川宗右衛門 はせがわ-そうえもん

1804*-1870 江戸時代後期の武士
享和3年12月14日生まれ。長谷川速水(はやみ)の父。讃岐(さぬき)高松藩士。徳川斉昭(なりあき)の政治姿勢に共鳴。安政5年(1858)脱藩して尊攘(そんじょう)運動に従事。一時獄につながれるが,文久2年ゆるされ,慶応4年戊辰(ぼしん)戦争で朝敵とされた高松藩の危機をすくった。明治3年9月25日死去。68歳。本姓は松崎。名は秀驥(ひでたか)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「長谷川宗右衛門」の解説

長谷川宗右衛門 (はせがわそうえもん)

生年月日:1803年12月14日
江戸時代末期;明治時代の讃岐高松藩士
1870年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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